掟(おきて)破り

九月八日(木曜日)、小雨模様の夜明けを迎えている。九月になって早や一週間が経つけれど、ちっとも秋らしくない天候が続いている。せっかくの好季節にあっては、至極残念無念である。しかし、自然界の営みゆえに、恨みつらみはない。恨みつらみは、人間界の営みからもたらされる。これまでの私は、この手のメディアニュースの追認(引用)だけはすまいと、心して避けてきた。ところが今、その掟を破っている。事件、事故という、言葉は使いたくない。あえて言えば出来事、いやこれとて適当ではない。結局、事の表現に詰まって私は、「人間、愚か者のしくじり」と書く。確かに、わが固い掟を破っている。大きな罪作りである。罪滅ぼしに、メディア記事の全容の引用だけは止めれば、こうである。すなわちしくじりは、静岡県牧之原市の川崎幼稚園における園児(三歳)の、送迎バス中における置き去り死である。私はこれには平静になれず、書かずにおれなかった。もちろん、この先を書く気分にはなれず、この文章はこれでおしまいである。天災とは異なり、人災には無性に腹が立つ。このたびの愚か者のしくじりは、何よりの確かな証しである。人の命には、本人個人と両親の命、三つが宿っている。