語尾に「難民」を付ければ、実際に難民として苦しむ人たちにたいして無礼千万である。だからこの場合は、その言葉を控えたい。すると、これに代わる適当な言葉探しを始めている。ふと浮かんでいるもので、最も厳しいものには不可能がある。やや緩いものでは、不便あるいはままならないという、言葉が浮かんでいる。このため、語尾に不便を当ててみる。加齢にあって総じて困るのは、日常生活における家事不便である。一つ一つの事柄では、買い物不便、通院不便、草取り不便、そして日課とする分別ごみ出し不便、さらには道路の掃除不便などがある。これらに加えて現在は、新型コロナウイルスへの感染を恐れて、外出行動を控えている。すなわち、外出不便である。やはり、難民に比べて、不便ではしっくりこないところがある。だとしたら、もっと適当な言葉探しをしなければならない。すると、これに尽きる。すなわち、年をとって、すべてのことがままならくなっている。加齢とは人間に付き纏う、「悪の権化(ごんげ)」と、言えそうである。もちろん、私にはそれを跳ね返す気力や便法もなく、甘んじて泣き寝入りの状態である。人生の終末期になって私は、都会の僻地にしか、終(つい)の棲家(すみか)を買い求めざるを得なかった、わが甲斐性無しの祟(たた)りに遭遇している。確かに、いまさら嘆いてもどうなることでもない。それでも嘆かざるを得ないのは、日に日に現れるわが甲斐性無しのせいである。きょうの私には、妻の通院行動にたいする引率および介助の役割がある。行き先は、最寄りすなわち住宅地内にあるS医院である。年老いたわが足でも歩いて、片道十五分程度である。ところが、リハビリ中の妻の足取りでは、これがままならないのである。通院不便、加齢のせいにはできない、わが甲斐性無しの証しである。心地良い夏の夜明けにあって私は、気分の滅入りをこうむっている。命、終末期の人生行路は、悉(ことごと)く不便、すなわちままならい暗夜行路である。