屍(しかばね)の戯言(ざれごと)

ブログの文章は炎上やバッシングを避けるため、ネタに自己制限をかけてきました。それゆえ、毎日似たよう文章の繰り返しとなり、自分自身、飽き飽き気分で書いてきました。おのずから、義理や好意で読んでくださっていた人たちは、しだいに遠のいてゆきました。いくら謝っても謝りきれない、私自身がしでかした悔恨です。こんななかにあって、今なお読み続けてくださる人たちがいます。これらの人たちには逆に、いくら謝意をいだいても、いだきききれるものではない、わが身に余る果報です。突如、こんなことを書いているのは、「ひぐらしの記」の終焉の灯火(ともしび)が、明滅しているせいかもしれません。「ひぐらしの記」の執筆を含めて人生行路は、気の持ちようすなわちモチベーション(心意気)の高低に影響を受けます。私の場合、モチベーションが高いときには、生きる喜びにあふれています。ところが逆に、モチベーションが低いときには、たちまち「生きる屍(しかばね)」状態へと沈んでいます。言うなれば人生行路は、モチベーションを基準にして、二者択一すなわちどっちかへ転ぶ状態になりがちです。こんな遠回しの表現は止めて、現在のわがモチベーションは低く、ずばり生きる屍状態です。瞬時のエンストであれば、再駆動にありつけます。ところが、装置全体が壊れていたら再駆動は望めず、ここで万事休すです。「ひぐらしの記」を書く装置とは、心模様すなわちモチベーションとして現れる精神状態です。モチベーションの有無や高低を測る、たとえば体温計のような測定器はありません。もちろん、解熱剤のような薬剤もなく、それだけモチベーションの低下は、始末に負えないほどの難物です。これにたいする処方箋は、まわりまわってみずから精神力にすがる、克己心や自己発奮あるいは鼓舞などしかありません。「言うは易く行うは難し」。現在の私は、モチベーションの低下に見舞われています。夏の暑さのせいではなく、生来のひ弱な精神力のせいです。単なるエンストなのか、それとも装置全体(精神)の壊れのせいなのか。ハード(身体)は、年齢(八十二歳)並みを超えて、正常に動いています。ところがソフト(精神)は、年齢並みから外れて老い耄(ぼ)れ、いや病に罹っているのかもしれません。幸いなるかな! 自己診断では、病はまったく認知していません。しかし、人様診断ではどうかな? と、思っています。この文章に似た文章は、近いところで書きました。だから、二番煎じの文章です。こんなことではゆくゆくは? いやたちまち、読者ゼロ人が懸念されます。すでに精神が病に罹っているような、冴えない文章を書きました。薬剤要らずの効果覿面の処方箋は、心地良い夏の朝にすがっています。