七月二十八日(木曜日)、気持ちの良い夏風が網戸から吹き抜けてくる。気のせいであろうか、これまでとは違う感じのする夏風である。今週末、すなわち明日あたりから、「本格的な夏の訪れ」という予報がある。本格的な夏とは、暑熱の厳しさをともなう真夏である。もちろん盛夏とも言われて、巷間では「暑中お見舞い」の言葉や葉書が、飛び交う季節である。人間のみに与えられたすぐれた交情である。そして、いつの間にか、「残暑お見舞い」へと、変わってゆく。日月どころか歳月のめぐりは、体操競技の大車輪のごとしである。昨夜は悶々としているうちに、いくらか二度寝にありついていた。それゆえ寝起きの現在は、執筆時間に迫られて、心が急いている。二度寝にありつけず起き出すと、執筆時間は余るほどある。どっちもどっち、碌なことはない。就寝時の私は、安らかな睡眠願望である。人間の基本の基、すなわち最も心安らぐはずの睡眠に脅(おびや)かされるとはなさけない。もちろん、若いときには思い及ばなかった仕打ちである。加齢は、いろんなところで心身を蝕(むしば)んでくる。心は急いているけれど、とりたてて書くネタ、書きたいネタもない。無理矢理書けば、新型コロナウイルスのことばかりが浮かんでくる。しかしながらこれには、もう飽き飽きしている。だからきょうは、これで書き止めである。もちろん、表題のつけようはない。本格的な夏の訪れの二日前にあって、朝日は外連味(けれんみ)なく澄明(ちょうめい)に輝いている。心は急くものの気持ちの良い朝である。朝御飯の支度の前に、しばしこの気分を堪能するために、これで結文とする。