ワクチン

七月二十一日(木曜日)、新型コロナウイルス対応の四度目のワクチン接種日である。しかしながらワクチン効果は、気休めにもならない程度のもののようでもある。なぜなら、ワクチン接種者の感染報道が絶えない。同時に連日、感染者数のぶり返しが、過去最多の文字をしたがえて報道されている。いよいよわが身にも感染か? と、恐怖はつのるばかりである。おのずからわが気分は、萎えるばかりである。ところが気分の萎えは、もちろんコロナのせいばかりではない。いや、最も厄介なのは抵抗や薬剤投与のしようのない、人生の終末期における様々な生き様のせいである。もちろんこれにはワクチンはなく、きわめて手に負えない難題である。そして、これらから生じる気分の萎えは、もろにわが身を脅かしている。私は大沢さまとご常連の人様のご好意にすがり、長年「ひぐらしの記」を書き続けている。このことにたいしてはひれ伏して、わが感謝の思いを伝えなければ気が済まないものがある。なぜなら私は、ご好意にすがり「文章を書きたい!」という、わが欲望を飽きるほどに叶えている。この僥倖は私自身、驚天動地の心境にある。ところが、このところの気分の萎えは、「ひぐらしの記」の継続を妨げ(阻害)はじめている。それゆえ現在は、継続にたいし思案投げ首の状態にある。挙句は、克己心とのたたかいの渦中にある。ところがわが精神力は、こっぴどく負けそうである。こんなまずい文章を書いているせいであろうか、このところのカウント数値は漸減傾向にある。すると、もはや書く価値(甲斐)はない。二度寝にありつけずに起き出してきたら、きのうの文章の二番煎じを書いている。どうせならばとやけのやんぱち、きのうの文章の結語を重ねると、これである。私には気狂いの自覚症状はない。いや、まったくない。「そうかな?」、人様の思いは知るよしない。こちらのことでは、認知症状の走りがあるのかもしれない。しかし共に、自覚症状はない。確りと自覚するのは、コロナの蔓延と人生終末期の生き様に打ちのめされている気分の萎えである。現在の時刻は、夜更けの二時ごろである。「くわばら、くわばら、…」。これは、わが精神状態が危ないときに唱える念仏である。もちろん今のところは、面白半分の空念仏だけれど、ところが真正の念仏に成ったらと、身の毛がよだつ思いである。できれば、人生の終末期の生き様を正し、萎えの気分を癒す、ワクチン開発を望むところである。もちろんそれは、コロナワクチンとは異なり、効果覿面の「人生終末期ワクチン」である。