八十二年の来し方、一部回顧

七月十八日(月曜日)、二度寝にありつけず起き出してきて、朦朧頭で八十二年の来し方を顧みる。親兄弟がかける愛情には、まったく不満や不足はない。なかったと言いきらなかったのはひとり、至上の愛情を持つ次兄が生存中ゆえである。親類縁者との交流は常に親しく、何ら不足はない。配偶者選びは、しがないわが身をかんがみれば、これ以上を望むのは欲ボケである。隣近所との交流にも、諍(いさか)いはない。友人、知人との交誼にあっては、共にとりわけ厚誼に恵まれて、すべての人がわが人生の指導者の位置にある。就学初めの小学一年生と二年生のご担任で、今や恩師と崇める渕上先生は、乳母(めのと)ごときの育ての親である。小中高そして大学選び、またこの間における成績は、わが能力をかんがみればできすぎであり、悔いるところはない。職場選びには、格別悔いはない。いや幸運にも、わが身を完全無欠に託し得た、極め付きの優良会社だった。職場における上司、先輩、同僚、そして後輩、すべてに恵まれて、これまたまったく悔いはない。総まとめにして、わが八十二年の人付き合いには恵まれて、まったく悔いのない、わが身に余る僥倖、すなわち豊かな人生だった。それなのに私は、文章を書けば愚痴ばかりをこぼしている。結局、わが愚痴こぼしの元凶、すなわち悔い事は、すべて自分自身のしでかしのよるものである。最大の悔い事は、生後十一か月のわが唯一の弟・敏弘を、わが子守(四歳半の頃)の不始末で、亡くしたことである。「身から出た錆(さび」。焦げ付き錆の多い、八十二年の来し方である。過去形にしなかったのはなおこの先、自分自身がしでかす悔い事が続きそうだからである。無宗教を任ずる私は、アーメンとか、南無阿弥陀仏とかは唱えず、「くわばら、くわばら」で、お茶を濁すところである。いまだ一部回顧であっても、心苦しいものがある。ましてやこの先、人生の総括をするときには、どんなにか心苦しいものとなろう。きょうもまた夜明けの空は、朝日の見えない雨空である。ところが、わが心中の(雨は、土砂降り)である。