(38)
田 端 信
平素住んでいる吉祥寺の街を出ることは滅多になく、電車に乗るのは年二、三回だった。八王子は第一回公判の日と、今日で二回目である。ぼくとしては中央線の一番北へ来たことになり、普通だったら裁判が終って、そのあたりをぶらぶらしたいところだった。しかし、急ぎの印刷の仕事が控えている。そま当時の現代文藝研究所は、印刷によって振り廻されていたのである。
創設から十年ほどは、すべて印刷、製本屋の下請に出していた。印刷屋のスケジュールに合せて、こちらのスケジュールをたてる。ところが期日までに原稿や校正が間に合わないと、納期が大きくズレこんだ。それ専門の担当者がいるならともかく、色々な仕事を一人で調整しながらやる場合、大変なことだった。
そして、印刷屋へ行って見ていると、そう難しい仕事のようにも思えない。そこで自分でやってみようと思い立ったのである。今度の裁判で弁護士を頼まなかったのもそうだが、何でも自分でやって見ようとする性格が、ここでも頭をのぞかせたのである。早速、メーカーに電話して、デジタル印刷機を設備したのである。それをきっかけとして調子のいい営業マンの口車に乗せられて丁合機、製本機、断裁機、紙折機、、イマジオ、パソコンまで設備する羽目になってしまった。
ところが実際、印刷を始めてみてわかったことは、理想と現実の大きな喰いちがいだった。デジタル印刷機と名称はもっともらしいが、昔の謄写印刷機の自動化したものである。裏写りがひどくて、表裏共印刷する場合、一面の汚れとなって現れる。作品のタイトルや末尾の空白部分、太字、カットの図柄、表紙製版などでは特に著しかった。紙圧、印刷速度、インクの種類など工夫してみたがそれほど差異は認められなかった。でき上がったものは全く印刷物とはいえない代物である。
そこで検品として、どの程度のものまで通すかが問題だ。箸にも棒にもかからないものはその時点で廃棄するが、合格としたものも前頁の印刷が仕上がってから点検すると、その大部分を落さねばならない状態だった。また初めからやり直しである。しかし刷り直して、前より却って悪くなる場合も多い。それを繰り返しているうちに、不良品の山を築き、使用できる印刷物は数えるほどしかない状態だった。
また印刷もれによって白紙の出てくるものも大きな問題だった。吹紙口側の紙の一端が折れこんでいたり、シワがあったり、湿った紙、紙間に空気が浸透せず密着している場合など、紙圧に瞬間的な変化が起きて、二、三枚の紙が重なったまま飛び出す。その分が印刷されず、白紙になるのだ。
高度の印刷機にそんな現象は発生せず、多少レベルが落ちる印刷機でも重送抑止装置というものがついていて、その時点で取り除くことができる。ところが安物の印刷機にそんなものはついておらず、何枚裏白が出ようとたれ流しである。
この発見法がまた厄介だ。表裏の印刷終了ごとに点検、断裁前に点検、丁合機にかける前に点検、製本機にかける前に一枚ずつめくりながら丹念に点検する。もう出る筈がないのに、製本後も出てくる場合がある。その一頁のために破棄しなければならない。どうしてそうなるのか、信じられない気持である。
しかし、自分では不思議だが、それはなるべくしてなったのだ。初歩的ミスによる場合も少なくない。チェックしているのだが、ある頁は二回印刷し、ある頁は欠落している。表と裏の天地が逆になっている場合もある。表を印刷し裏を印刷する場合、逆さまにして給紙台におかねばならないのだが、普通に入れてしまったのである。あるいは一枚だけ試刷してそれを置くと、下もそうなっていると思いこみ、こんなミスが発生する。
製本後も裏白だけではなく、色々なミスが発生する。表紙と内容が逆になっている場合がある。これは表紙を製本台へ乗せるとき、一枚だけ逆になっていたのである。本文だけに気をとられているから、ミスには気がつかない。
本文の一部だけ天地が逆になっている場合、左右が逆になっている場合がある。
丁合機によって五十頁ぐらいずつ組み合せ、最後になってからそれを手によって組み合せる。頁を確認しながらの作業であるが、脳ミソが腐っていたとしか考えられないのである。一部の頁でハシラ(タイトル)、頁の欠落する場合があった。製版の直前に行数の動く訂正が発生したとき、その頁を打ち直すことがある。最後になってハシラ、頁を入れねばならないのに見落したのである。
ミスは至るところにある。編集者はよく、コウセイオソルベシというが、印刷、製本こそ恐るべしである。校正のミスは行間にあるが、印刷、製本のミスは空間にあるからだ。著名雑誌が三十全頁もけっらくしたまま店頭に並んだというが、それを物語っているのかもしれない。
創設から十年ほどは、すべて印刷、製本屋の下請に出していた。印刷屋のスケジュールに合せて、こちらのスケジュールをたてる。ところが期日までに原稿や校正が間に合わないと、納期が大きくズレこんだ。それ専門の担当者がいるならともかく、色々な仕事を一人で調整しながらやる場合、大変なことだった。
そして、印刷屋へ行って見ていると、そう難しい仕事のようにも思えない。そこで自分でやってみようと思い立ったのである。今度の裁判で弁護士を頼まなかったのもそうだが、何でも自分でやって見ようとする性格が、ここでも頭をのぞかせたのである。早速、メーカーに電話して、デジタル印刷機を設備したのである。それをきっかけとして調子のいい営業マンの口車に乗せられて丁合機、製本機、断裁機、紙折機、、イマジオ、パソコンまで設備する羽目になってしまった。
ところが実際、印刷を始めてみてわかったことは、理想と現実の大きな喰いちがいだった。デジタル印刷機と名称はもっともらしいが、昔の謄写印刷機の自動化したものである。裏写りがひどくて、表裏共印刷する場合、一面の汚れとなって現れる。作品のタイトルや末尾の空白部分、太字、カットの図柄、表紙製版などでは特に著しかった。紙圧、印刷速度、インクの種類など工夫してみたがそれほど差異は認められなかった。でき上がったものは全く印刷物とはいえない代物である。
そこで検品として、どの程度のものまで通すかが問題だ。箸にも棒にもかからないものはその時点で廃棄するが、合格としたものも前頁の印刷が仕上がってから点検すると、その大部分を落さねばならない状態だった。また初めからやり直しである。しかし刷り直して、前より却って悪くなる場合も多い。それを繰り返しているうちに、不良品の山を築き、使用できる印刷物は数えるほどしかない状態だった。
また印刷もれによって白紙の出てくるものも大きな問題だった。吹紙口側の紙の一端が折れこんでいたり、シワがあったり、湿った紙、紙間に空気が浸透せず密着している場合など、紙圧に瞬間的な変化が起きて、二、三枚の紙が重なったまま飛び出す。その分が印刷されず、白紙になるのだ。
高度の印刷機にそんな現象は発生せず、多少レベルが落ちる印刷機でも重送抑止装置というものがついていて、その時点で取り除くことができる。ところが安物の印刷機にそんなものはついておらず、何枚裏白が出ようとたれ流しである。
この発見法がまた厄介だ。表裏の印刷終了ごとに点検、断裁前に点検、丁合機にかける前に点検、製本機にかける前に一枚ずつめくりながら丹念に点検する。もう出る筈がないのに、製本後も出てくる場合がある。その一頁のために破棄しなければならない。どうしてそうなるのか、信じられない気持である。
しかし、自分では不思議だが、それはなるべくしてなったのだ。初歩的ミスによる場合も少なくない。チェックしているのだが、ある頁は二回印刷し、ある頁は欠落している。表と裏の天地が逆になっている場合もある。表を印刷し裏を印刷する場合、逆さまにして給紙台におかねばならないのだが、普通に入れてしまったのである。あるいは一枚だけ試刷してそれを置くと、下もそうなっていると思いこみ、こんなミスが発生する。
製本後も裏白だけではなく、色々なミスが発生する。表紙と内容が逆になっている場合がある。これは表紙を製本台へ乗せるとき、一枚だけ逆になっていたのである。本文だけに気をとられているから、ミスには気がつかない。
本文の一部だけ天地が逆になっている場合、左右が逆になっている場合がある。
丁合機によって五十頁ぐらいずつ組み合せ、最後になってからそれを手によって組み合せる。頁を確認しながらの作業であるが、脳ミソが腐っていたとしか考えられないのである。一部の頁でハシラ(タイトル)、頁の欠落する場合があった。製版の直前に行数の動く訂正が発生したとき、その頁を打ち直すことがある。最後になってハシラ、頁を入れねばならないのに見落したのである。
ミスは至るところにある。編集者はよく、コウセイオソルベシというが、印刷、製本こそ恐るべしである。校正のミスは行間にあるが、印刷、製本のミスは空間にあるからだ。著名雑誌が三十全頁もけっらくしたまま店頭に並んだというが、それを物語っているのかもしれない。