自費出版を体験して

自費出版を体験して

須 永   勝
 「自分史を自費出版する」と云う十年来の夢が実現したのは、平成十二年十二月二日であった。
二個の宅急便で届けられた四六判二一八頁・百部の出版本の包みを解き、自分史『私と妻と子供たちと……』を手にしたときの感激、これは自費出版を体験した者でなれければ味わうことの出来ない至福のひと時と云えようか。
 タイミングを合わせ祝福するかの様に同時に届けられた、北海道旅行中の娘夫婦からのクール宅急便。カニを始めとする新鮮な魚介類が喜びを倍加させる。まるでドラマであった。
 江戸小染草の若草色の表紙に地元栃木近辺の山河のイラスト、親しみやすい題名の文字。私のイメージ通りの出来映えであった。
 自費出版と云っても初体験の事、正直云って私はそれほど期待はしていなかった。自分史と云うよりも私と妻と子供たちの来し方を数知れぬ思い出の一端を、妻と子供たちに残したい。そして出来れば兄弟姉妹ごく親しい友人にも読んで貰えたらと云う、身近な人を対象にした部数も三十~五十部もあれば充分と云った、そんな程度の自費出版を考えていたのだから。
 二つの出版社から案内書を取り寄せ、現実が私の考えとはかけ離れたものである事を知った。部数は百~百五十が最低、当然費用も考えていたものをはるかにオーバーしていた。長年の夢の実現とは云っても限界がある。困ってしまった。
 そんな時ある雑誌で現代文藝社を知った。自費出版価格一覧表を記載し頁数×発行部数でいくらと費用が明確で、しかもきわめて低廉であった。定年後の生活設計も考えねばならない私にとって、それが現代文藝社を選んだ最大の理由だった。
 本を出版すると云う事がどんなに大変な事なのか全く知らなかった私は、それから始まった推敲や校正・表紙絵や扉絵のデザイン・文字や紙質他の電話や郵便・宅急便での数々のやり取り、又予算の事もありあまり長過ぎてもと四百頁近い原文を二百頁前後に整理したため、まとまりを欠いてしまったきらいのある原稿に対する適切な助言やこまや 私の身勝手な感想かな心遣いに、たかだか自費出版の私家本にこんなに手をかけてくれるのかと、感心するばかりであった。
を云わせて貰えれば、どこの出版社に依頼しても大体同様の工程を経て、本が作られて行くのかも知れないが、工程は同じでも過程が違うように思える。これはご自身でも本を書き出版されている現代文藝社の大沢さんの、文人としての良識と云うか心意気なのではないかと思えるのです。
 それは、出来るだけ安価に手軽に本を自費出版したいと思っている私の様な小口の出版希望者にとっては強力な後ろ盾と云える。底辺の拡大と云う意味では出版業界の一つの道筋ではないかとも云える。何しろ底辺は広く大きいのだから。
 まず自分の本を二冊取りだし、妻と二人で四日ほどかけてじっくり読み上げる。その後子供たち・兄弟姉妹・親しい友人知人に進呈する。当初の予定通りに……。
 その感想が少しずつ戻ってきたが、予想以上に好評なようであった。特に嬉しかったのは進呈した方の娘さんや息子さんお嫁さん等若い人が感動して読んでくれたと聞かされた事。ある知人の嫁入り前の娘さんの「自分にも一冊欲しい、結婚しても持って行き折にふれ読みたい」との話を聞いた時には、柄にもなく涙にむせんだものだった。
そんな読者が一人でもいてくれたと云うだけでも出版したかいがあったと云えよう。
 栃木市の西の外れにある柏倉温泉『太子館』。湧出地の地主が当家の守護神たる聖徳太子の名を戴き、太子館霊鉱泉と名付け開業した栃木市唯一の温泉で、『とちぎ蔵の湯』としても地元の人に親しまれている。
 十二月十九日、その特別室で妻と二人水入らずで出版祝いを行った。私の本を読んだ友人達が、固辞する私と妻を尻目に強引に部屋を予約し招待してくれたのだった。
朝寝朝酒ならぬ、昼湯・昼酒を存分に楽しみながら、独り善がりな思い入れが少し強すぎる私の本に賛同し祝福してくれる友人・知人がいる幸せに浸りながら、自費出版も又良きかなと、うたた寝のうつつの中で酔いしれる私であった。(『私と妻と子供たちと……』を現代文藝社より出版)
自費出版ジャーナル第30号に掲載