「八月盆」

 八月十三日(金曜日)、雨の夜明けにあって「八月盆」の迎え日が訪れている。お盆の期間は四日であり、最終日は送り日となる。古来、お盆は正月と並んで、日本社会における二大の大事な習わしである。しかしながら、この習わしの響きには雲泥の差がある。言うなれば正月は和みの儀式であり、一方のお盆は哀しみと慰みの儀式である。唯一、似ているところは親しき者たち(身内、家族)の集い合いである。おのずからどちらにも、日本民族大移動の光景がさらけ出されることとなる。もとより、この光景は歓迎こそされ、人様から非難されるものではない。
 ところが、今年(令和三年)のお盆にあってこの光景には、非難をこうむり後ろめたさがつきまとっている。すなわち今年は、ふるさと帰りでお墓参りなどのせっかくの善意も、ままならない状態にある。かえすがえす残念無念である。通せんぼしているのは、新型コロナウイルスである。日本民族こぞって、打ちのめしたいところだけれど、叶わないきわめて難物である。
 わがふるさとでは死後に初めて迎えるお盆は、文字どおり「初盆」と言う、習わしだった。ところがこの呼び名は、所変われば「新盆」、あるいは「新盆(にいぼん)」と呼ぶようである。はたまた地方や地域によっては、これらのほかの呼称があるのかもしれない。大沢さまの表記には「新盆」と、拝見した。しかし、音読はどちらか知るよしない。ご主人様の「新盆」に際して、あらためて「謹んでご冥福をお祈りいたします」。確かにお盆は、正月とはまったく異なる、哀しさだけがつのる年中行事である。