きのうの昼間、天上は澄明(ちょうめい)な日本晴れ。見渡すかぎりに、文字どおり麗らかな陽春が光っていた。卓球クラブの練習に向けて私は、長い坂道を下っていた。やはり、もうとっくにウグイスは鳴き始めていたようだ。しかしこのとき私は、ことしの初鳴きに遭遇した。ウグイスの初々しい鳴き声は、わが重たい気分を解(ほぐ)した。
歩いている正面の杉山、そして傍らの杉林、共にまるで枯れ山を見ているかのように、花粉を目いっぱい膨らませて、全体が茶色に染まっていた。杉花粉は現代の人間社会にあっては、花粉症をもたらす悪の張本人としてほぼ万人に嫌われている。しかしながら私の場合は、生誕地における周囲、杉山ばかりの育ちである。だから、見渡す杉山と手の届きそうな杉林にはたちまち郷愁にさずかり、これまたわが気分を解してくれた。
さてこの文章は、「ひぐらしの記」における最後になりそうな予感をおぼえている。だけど、予感だからまだ御礼と感謝の言葉は書かない。令和7年(2025年)「雛祭り」(3月3日・月曜日、4:25)。わが年齢、84歳。生きることに、負けそうである。
歩いている正面の杉山、そして傍らの杉林、共にまるで枯れ山を見ているかのように、花粉を目いっぱい膨らませて、全体が茶色に染まっていた。杉花粉は現代の人間社会にあっては、花粉症をもたらす悪の張本人としてほぼ万人に嫌われている。しかしながら私の場合は、生誕地における周囲、杉山ばかりの育ちである。だから、見渡す杉山と手の届きそうな杉林にはたちまち郷愁にさずかり、これまたわが気分を解してくれた。
さてこの文章は、「ひぐらしの記」における最後になりそうな予感をおぼえている。だけど、予感だからまだ御礼と感謝の言葉は書かない。令和7年(2025年)「雛祭り」(3月3日・月曜日、4:25)。わが年齢、84歳。生きることに、負けそうである。