人生の「コストパフォーマンス」(費用対効果)

2月16日(日曜日)。気違い沙汰のことを心中に浮かべて、起き出している。寒気はまったく感じない。だから、気分が緩んでいるためなのか。そうであれば、飛んだとばっちりをこうむっている。私は、まったく価値のない妄想に取りつかれている。「コストパフォーマンス」(費用対効果)とは経済界において、いや、あらゆる物事において、効率度合いを測る重要な尺度と言えそうである。この言葉を当て嵌めると人生には多くの金額の費消に対し、どれほどの見返り(利)があるのであろうか。「衣食住、その他」にかかわる金額だけではなく、もとより金額に換算できない精神の費消(負担)もある。これらを鑑みれば、人の生存(命)には、どれほどのコスト(費用)が掛かっているのであろうか。もちろん、測りようはない。だけど生き様に、それら(負担)に見合う、生き甲斐や楽しみは適(かな)っているのであろうか。野暮ったく言えば、生存(命)の「コストパフォーマンス」(費用対効果)は、利にのっているのであろうか。幸いにも私は、こんなことには無頓着に日暮らしを続けている。こんなことを書くようでは、もはや「ひぐらしの記」はおしまいである。自然界は冬衣(ふゆごろも)を脱ぎ捨てて、春を近づけている。のどかな朝ぼらけにある。アホの私は変わらず、間抜けなことを書いている。