たぶん、地球は壊れず永久、すなわち未来永劫にわたり存在する。そして、「時」は必ずめぐり続ける。人の命は、生涯という限りの「時」を過ぎれば必ず絶え尽きる。こんなことを心中にめぐらして、起き出している(5:47)。きょうの地球は日本社会に、令和7年(2025年)の「建国記念日」と、印している。今さらに、遠い過去を振り返る。建国記念日の施行は、昭和42年(1967年)2月11日である。このとき、日本の国のあちこちには、様々な祝典行事が催された。おのずからこの日は、国民祝祭日となった。翌年、昭和43年(1968年)2月11日(2度目の建国記念日)にあって、新郎・私(27歳)と新婦・妻(24歳)は、晴れて華燭の典を挙げた。こちらは祝典と言うには悍(おぞ)ましく、挙式の場所は今なお東京都市ヶ谷に存在する「アルカディア市ヶ谷」(当時は私学会館)だった。以降、めぐりめぐってきょうは、老いさらばえた二人の、何度目かの「結婚記念日」にある。度数を数えるのも物憂げで、数えることはしない。ところがきょうの二人の行動は、老いの身の証しを表して、しかたなく仲睦まじく一致している。私の場合は、補聴器の定期のケアと、メガネの買い替え行動である。一方、妻の場合は、メガネの買い替えである。共に、高額の散財が予想されている。訪れる店舗は、わが家からはるかに遠い「眼鏡市場」(神奈川県横須賀市内に存在する)である。なぜ、どうしてここになったかと言えば、横須賀市内に住む娘が、私に補聴器をつけさせるため強引にこの店に連れ出したからである。このときの私は、娘が仕掛けた罠に落ちたのである。しかし、これ以降の私は、補聴器に満足し快楽の日常生活にありつている。補聴器(45万円)を買ってくれることはなかったから、似非(えせ)の親孝行を仕掛けられたのであろう。娘の誕生祝いは、翌年(昭和44年・1969年)の1月30日だった。こんな私的なことは、この先を書くには耐えられない。だから、ここで書き止めである。現在の祝典が欲しいけれどそれは無く、翳(かげ)りゆく過去の物語である。夜明けの空は、遠出には好日和である。
翳りゆく過去
