2月8日(土曜日)。大雪予報の切れにある今週末が訪れている。わが気象音痴の当てずっぽうにすぎない。大雪も峠を越えて雪国は、来週あたりから一気に春の装いになるであろう。なぜなら季節は、長く後戻りをすることなく、先々へめぐって行く倣(なら)いにある。現在のデジタル時刻は、5:28と刻んでいる。鎌倉地方には雪景色は見えないけれど、それでも寝起きのわが身体は、予報に違わず寒気にブルブル震えている。しかしながらこの寒気も、もうしばらくの我慢で済みそうである。ちょっとだけだが私は、それに耐え得る気力は残している。もとより、寝ても覚めてもなど無理だけれど、文章書きをみずからに強いている私は、常に心中に語彙を浮かべている。もとよりそれは血気盛んに前向きにではなく、至って後ろ向きに語彙の忘却逃れのためにすぎない。きょうの寝起きにあっての私は、「気の毒」ということばの字面(じづら)の摩訶不思議さを浮かべていた。もっと端的には、「毒」という語句に惑わされていた。きのうは「ずる休み」の文章を書いた。ところがきょうは、こんなことを書くようでは本格的に休むべきだったのかもしれない。きょうの文章は、このことに起因している。私は突然の道路の陥没事故に遭われた人に対して、甚(いた)く「気の毒」におぼえている。机上の電子辞書を開いた。以下は「気の毒」にかかわる電子辞書の丸写しである。手先不器用の私には、つくづく厄介な作業である。【「気の毒」(心の毒になることの意)。①自分が難儀な目に会って心をいため苦しむこと。困ること。きまりがわるいこと。②他人の苦痛・難儀についてともに心配すること。同情。③相手に迷惑をかけてすまなく思うこと。また、感謝やお礼の意を表すのにも使う】。きょうの私には、どれもが当てはまる「気の毒」である。朝焼けの夜明けがのどかに訪れている。見えようない北の空(埼玉県八潮市)へ思いを馳せて、「気の毒に思う」心情が弥増(いやま)している。こんな毒にかぎれば、服(の)んでいいのかもしれない。
きょうは休むべきだったのかもしれない
