2月6日(木曜日)。恐れていた雪は降っていないけれど、この冬で最も寒気の鋭い夜明け前にある(5:15)。だからと言って私は、多雪地方や地帯の人たちの雪降りの難渋を慮(おもんぱか)れば、寒気にたいし恨みつらみや泣き言は言えない。熊本県に生まれ、成人になると埼玉県や東京都で一時住み、のちに多くは神奈川県に住んでいる。もちろんこれらの県は、日本列島にあっては多雪地方から外れている。ゆえにこれまでの私は、雪の怖さあるいは魅力(楽しさ)は未体験のままである。だからもとより私は、自然界の雪が人間界にもたらす、災害あるいは有益など、今なお十分に知る由(よし)ない。
確かに私は雪の恩恵にすがり、これまで二度ほどスキー場へ出向いて、スキーいや「雪滑り」を試みたことがある。ところが、滑るたびにスッケンドロンと転び、(止めた、もう懲り懲り!)と、スキーの楽しさは未体験である。ようやく、雪降りや雪の日の楽しさは、生誕地熊本における子ども時代にのみ限られるだけである。すなわち、当時の雪の日によみがえる思い出は、雪ダルマづくり、隣近所の遊び仲間たちとの雪合戦、さらには新雪をドンブリに掬(すく)って来ての、炬燵(こたつ)に入っての砂糖まぶしの美味さである。おとなになり、そして都会に住むようになるとこれらの楽しみはなくなり、ゆいいつ雪降りや雪の日の恩恵は、雪景色の眺めだけになった。半面、これまでの私は、雪害をこうむることなく過ぎて来た。
悪さだけをする地震、雷、竜巻などは別にして、雨や風は人間界に災害をもたらすばかりではなく、人間のほか動植物にも有益をもたらすものがある。卑近なところでは、水力および風力によるエネルギー(発電)の恩恵がある。天水は土壌を潤し、人間ほか動植物のエネルギー源を成している。翻って雪の有益には、どんなものがあるのであろうか。すると、わが心中に浮かぶのは、先ほどのスキー(場)にまつわること、雪解け水の潤し、雪景色のロマンくらいしかない。
ところが、このところのテレビが映し出す多雪地方や地帯における大雪状景は、わが思いを木っ端みじんに壊している。このところ否応なく観ている、多雪地方のつらい映像である。だから私は、こぶし咲く『雪国の春』を声高らかに歌う日の訪れを待ちわびている。日本晴れの夜明けを、喜んでいいのであろうか。私は、はるか彼方の北の空を案じて浮かべている。
汚れてくれるな! 「雪景色」
