加速度を増して、衰えてゆくわが精神

きのうの夕方にはJR長野駅前で、男性二人と女性一人が遭遇する通り魔事件があった。明けてきょう(1月23日・木曜日)の午前2時49分には、福島県会津地方を震源地とする最大震度5弱の地震が起きた。アメリカ・トランプ大統領は、「アメリカ第一主義」を声高(狂暴)に唱えて、世界の国々と人民を震撼させている。これらの恐怖とは別に人には、病をはじめとする様々な厄介な事情がある。ゆえにこの世で生き続けることは、雲を掴むほどに困難事である。挙句、生涯において(生まれてこなければよかった)と、思う人は星の数ほどにいる。私自身、これまでの人生行路においては、一度ならず何度かこんな思いに見舞われていた。しかしながら現在は、その思いから脱している。なぜなら、あえてそう思わなくても、間近に死期が迫っているからである。このところの私は、頓(とみ)に死期の近づき(意識)の渦中にある。その確かな証しには、もともと微々たる脳力(能力)の衰えをやけに自覚しているからである。もっと端的には簡易な日常漢字さえ、手書きできずに忘却が進むありさまである。これまでの私は、記憶力にはかなりの自信を持っていた。ところがもはやその自信はことごとく瓦解し、死期の訪れの自覚の因を為している。身体と精神の調和があってこそ、「人間の体(からだ)」である。私の場合、精神のほうが先に崩れかかっている。崩れてしまえばどっちもどっちだけれど、精神の早や崩れは残念無念である。「ひぐらしの記」の製本(単行本)は大沢さまのご好意で、直近で第94集を数えている。しかしながらこんな調子では、目標に掲げる100集はおのずから夢まぼろしとなる。私は命の刻み、いや日々縮まりの中で生きている。嘆くまい! 人間だれしも生きることは、外圧および内圧の渦の中である。そう思ってもやはり、私は嘆いている。夜明けはまだなく、なお長く迷想に更けそうである。デジタル時刻は、6:07と刻んでいる。継続文の足しに、何らかの表題は付けるつもりである。