待たれる陽春

 1月5日(日曜日)。刀折れ矢尽きる。新春早々、音を上げている。身に沁みる寒気のせいではない。終末人生を生きることは、雲を掴むほどに難儀である。泣き虫、弱虫。愚痴こぼしを抑制し生きたり、なおその様を文章に綴り続けることなど、凡才の私には不可能である。挙句、文章を書けば愚痴こぼしまみれになる。だったら、恥や苦痛を忍んで書くこともない。起き立てのわが偽らざる心境である。
 恐れていた「ひぐらし記」の頓挫に見舞われている。現在は魔境にある。こののちの私は、これを打ち砕くことができるであろうか。もとより、心許ない心境である。こののちを生きる実際の難儀は、終活と呼ばれている人生の締め方、終わり方である。そしてこのことは、就寝中にあって悪夢となり、常にわが心身を脅かし続けている。言うなれば二度寝を阻む、極悪の張本人である。きょうの寝起きの心境をありのままに綴った。この先を書く勇気や価値はない。夜明けののどかな朝ぼらけを仰いで、悪夢に虐められた心身をしばし解し、癒すことにする。
 人生の長さは、必ずしも幸福には結びつかないのかもしれない。だけど、太く短くも味気ない。一陽来復、陽春になれば気力の回復が叶うかもしれない。どうかなー……。