今さら(84歳)になっても、バカな私である。目覚めて寝床の中で、こんな幼稚・簡易な日常語の意味調べを試みていた。大袈裟好きのわが本性(ほんしょう)の証しと言えそうである。いや、わが掲げる生涯学習とは、寝床を教室や机代わりにして、ざっとこの程度でのものある。スマホ片手に、朔日(さくじつ)と晦日(かいじつ)、一字読みでは「朔」(ついたち)、「晦」(みそか、つごもり)、そして大晦日と元日、なお元日と元旦の違いなど、丹念に復習した。とうとう、ことし(令和6年・2024年)の大晦日(12月31日・火曜日)が訪れている。
冬至過ぎてもきのうまでは感じなかったけれど、きょうは夜明けの早さをちょっぴり感じている。地上の夜明けは風雨まったくなく、見渡す大空はのどかな日本晴れである。それでもやはり気になるのは、空の果ていや見えようのないはるか彼方の地方の雪の降りようである。わが現住する鎌倉地方は、何度か気象予報士の予報で脅(おど)かされたけれど、そのたびに予報は外れて、大晦日まで雪降りなしで、この一年を閉じそうである。わがこの一年を5段階の年間通知表で評価すれば、いくらかオマケして上から2番目の「よい」でいいだろう。
一方、わが家に置き換えれば、これまたオマケしても「ややおとる」と、評価せざるを得ないところである。わがことで言えば身体状況に関して、無病息災とまではいかなかったけれど、いちおう健康体で大晦日を迎えている。「もっともよい」から外れたマイナス点は、文字どおり精神状態のマイナス思考に由る。わが家の場合の減点要素は、妻の身体の衰えぶりに起因する。これを見遣れば、わが精神状態もつれて滅入るところにある。ところが妻は、幸運にも自分のことには気づかず、「パパは、痴呆症よ!」と、言ってのける。すると私は、「はいはい、そうだね」と言って、「おまえは元気だから、いいな。おれは助かるよ」と、いくらか嘘っぱちの元気づけを言い放っている。人生終末を生きる極意は、夫婦共に「我慢と労わり」である。この先を書けば、いつものように無駄にだらだらと長くなる。だからきょうは、意図してここで書き止めである。
9日間にもおよぶ年末年始の休暇にありついてなのか、ご常連の人たちもその有卦(うけ)に入られているのか? 掲示板のカウント数は減り気味でもある。私はどこかへ旅立ちはできないけれど、指止めはできる。ゆえに指を止めて、この先は大晦日に当たりのんびりと、この一年を顧みるつもりにある。道路の掃除はきのう、綺麗に済ましている。
とうとう、「大晦日(おおみそか)
