12月19日(木曜日)。体温は平熱の36度前後で変わらないけれど、身体気温は緩んでいる。天界がさずけるご褒美と思いたいけれど、しかしそれをさずかる物種(美徳)はまったく無い。いや実際には天界からお叱りを受けそうな、このところのわが体(てい)たらくぶりである。(もう書くまい、もう書けない)という、心中の「弱虫」の跋扈(ばっこ)をこうむり、文章は三日間頓挫した。(これではまずい)と、四日めには一念発起し、弱虫退治を敢行した。ところが、いまだ退治しきれずに、現在は弱虫の逆襲のさ中にある。普段、「虫けら」と蔑(さげす)む、弱虫の抗戦力に敗けそうである。もう、文章の質(出来不出来)は問わない。なりふり構わず、何でもいいから書かなければならない。(なさけない)、わが現在の心境である。この文章はその証しである。
机上の電子辞書を開いた。「克己:おのれにかつこと」。私は弱虫にも、自分にも負けている。夜明けはいまだ遠く、太陽の恵みにはありつけず、しかたなく指先をキーボードから離して、再び床へ就く。寝床で、再起動の機運を温めるつもりにある。頼りない、わが決意である。老いること、とりわけそれによる心情の萎(な)えは、人間につきまとう哀しい性(さが)であろう。いや、(自分だけかなー……)と、嘆息するところにある。
幸いにもきのう同様に、気狂いの自覚(症状)はない。だから、駄文を綴りながら平常心、通常の文章への復活を願っている。わが身勝手を、平に詫びるところである。時や季節は、わが心中などつゆ知らず、坦々と流れてゆく。それに逆らう私は、愚か者である。
私は愚か者
