11月27日(水曜日)。わが起き出しの定時は、5時と決めている。すると、きょうはほぼ定時の起き出しにある。定時あたりだと執筆にあたり、慌てふためくことを免れる。これより遅ければ大慌てになり、逆に早ければ朦朧頭と眠気眼の抱き合わせをこうむることとなる。しかし、夜長の候にあって現在は、未だ夜の静寂(しじま)にある。このことはいっそう、執筆気分を落ち着かせている。きょうは、(文章は書けないかな)と、思って就寝した。きのうの風邪症状を引きずり、風邪薬を服用して寝たからである。ところが、幸いにも風邪症状は遠のいていて、執筆にありついている。私は今夏にあっては夏風邪をひいて、長く拗(こじ)らせていた。そのおり、こう書いた記憶がある。すなわちそれは、夏風邪という言葉は、電子辞書に記載がある。けれど、春風邪、秋風邪、冬風邪の記載はない。このことを今思い起こすと、夏風邪をひくことは異例のことであり、逆に四季のうちその他の季節にひく風邪は、あたりまえだからであろう。すると、ほぼ毎年夏風邪をひく私は、文字どおり異例の愚か者である。インフルエンザの予防注射は、効く、効かないはどうあれ、すでに打っている。このとき、信頼する主治医は、「コロナワクチン、どうされますか?…自費になり、結構高くなりますけれど…」と、問いかけられた。すると、結構高いという言葉がわが判断を狂わせて私は、「コロナには罹らないと思いますから、やめていいでしょうか…」と、返答した。すると、主治医は機嫌を損(そこ)なわれることもなく、こう言われた。「わかりました。打ちたいときに来てください。そのとき、打ちましょう」。ところが、私はまだ打たないままである。たぶんこの先、打ちたい気分にはならないであろう。もし運悪くコロナに罹り、主治医に「あのとき、ワクチンを打っていれば良かったですね」と言われても、天邪鬼の私は「そうですね」とは、言わないかもしれない。言葉を返すとすれば、「人と交わるのは買い物くらいだから、コロナには罹らないと思っていました。仕方ないです。自業自得です」。いや、こんな言葉が、主治医の前で言えるだろうか。もとより、きょうは書くつもりのない文章だから、こんなことを書いて、お茶を濁すこととなる。このところの無駄に長い文の償いともあって、ここで結文とするものである。出まかせの文章はスラスラと書けて、まだ夜明けの光が見えない、夜の帳(とばり)の中にある。仕方なく窓際に立ち、暗闇の様子を見る。雨は止んだばかりのようで、道路はベタベタに濡れている。新聞配達のバイクが尾灯を光らせ、けたたましく音を立てて過ぎ去った。