「勤労感謝の日」(11月23日・土曜日)。勤務の身の人にとっては悔しい、土曜日と国民休祭日との重なりにある。ほぼ定時の起き出しだけれど、夜長にあっては未だ、夜明け模様を知ることはできない。なんだか、夜長どきの決まりきった表現の繰り返しにある。しかしながらこの表現は、省みることなくまだこの先へ続きそうである。起き立ての私は、心中にこんな思いを浮かべていた。「俺は死に際になってまで、わが人生の悔いごとを浮かべている。究極のマイナス思考は、わが心の襞(ひだ)に張り付いている。なさけないわが人生である。たとえ嘘っぱちでも格好つけて、『わが人生に悔いはなし』」と嘯(うそぶ)いて、死線へ赴(おもむ)くべきであろう。ところが一方では、こんな思いが充満していた。「片田舎生まれの洟垂れ小僧が、よくも84歳まで生き延びて、都会生活をまっとうしている。案外、俺は幸せ者なのかもしれない」。起きてネタがないと、なんだかんだを書いて、文章を埋めなければならない。すると、いつものように平に詫びるところである。起き立ての私は、両耳には補聴器を嵌めている。しかしながらこの時季にあっては、ウグイスの声はもとより、山鳥の鳴き声は聞けない。山に、フクロウはいない。ところがこのところ、茅ヶ崎市、藤沢市、逗子市、葉山町、そして鎌倉市の山場には、サルが出没しているという。そのため、それぞれの市の広報では、警戒警報(注意)が呼びかけられているという。しかし、サルはわが家近くの山にはいないだろう。ただ、懸念するところはある。このところ、わが家の庭中にウロチョロするリスの数が減っている。リスはサルの出没に怯(おび)えて、どこかに隠れたり、あちこちへ逃げ回っているのであろうか。現在は、山からの鳴き声や音は一切なく、風の音だけが戸袋に置く雨戸を叩いている。ようやく書きたいこと、いや書かなければならないことへたどり着いた。昨夜の「WBC12」(野球の国際試合)・スーパーラウンド第2戦、日本代表チーム・侍ジャパン対ベネズエラ代表チーム戦は、9対5で日本が勝利した。前日のアメリカ戦に続いて侍ジャパンは2勝して、きょうの第3戦(最終戦)では、台湾代表チームと戦うこととなる。そして、日程的にはあした(24日・日曜日)が優勝戦と3位決定戦となる。昨夜の試合は11時過ぎに終了し、そのためテレビ観戦を続けていたわが就寝時間は、12時前になっていた。こののち、テレビ観戦のために就寝時間が遅くなりそうなのはきょうと、侍ジャパンが運よく決勝へ向かえば、あしたの二日間になる。野球のテレビ観戦の愉しみが消えるのは残念だけれど、就寝時間は元に戻ることとなる。こんな状態にあっては、「痛しかゆし」という、言葉は適当(使える)だろうか。生涯学習には難易差はなく、きわめて日常語にもかかわらず私は、机上に置く電子辞書を開いて、わが知識への補充を試みた。現在、テレビ観戦中のものには、大「相撲九州場所(福岡)」がある。ところが、こちらも「WBC12」と軌を一にして、きょうは14日め、あすは千秋楽である。わが好むテレビ観戦が共に、終了することには寂しさつのるものがある。わがテレビ観戦は、試合や取り組みだけに限るものではなく、球場内や館内の観客の姿を見る愉しみもある。テレビ映像は、留まることを知らず鮮明度を増し続けている。私は観客の姿を見ながら、その恩恵を貪(むさぼ)り続けているのである。わが欲深い、二兎を追うテレビ観戦の仕方である。夜が明けている。強風吹き荒れる、鉛色の冬空に、日本晴れの兆しがチョロチョロ見え始めている。