十一月五日(火曜日)。いまだ夜明け前にあり、夜明けの天気を知ることはできない。しかし、雨の音、風の音はない。きょうの気象予報士の予報は、雨無しの曇りである。予報が当たれば雨は免れるけれど、好天気は望めそうにない。雨よりはましだけれど、おととい、きのうと続いた好天気が途絶えることは残念無念である。だけど、自然界(気象)現象のことゆえに腹を立てることはできない。いやいや顧みて自然界(気象)は、三連休の残り二日にあっては、人間界この場合は日本社会に限定し、至上の粋な計らいをしてくれたのである。具体的にはおとといの「文化の日」(十一月三日・日曜日)、それに続くきのうの「振替休日」(十一月四日・月曜日)にあっては、日本社会にこれ以上はないほどの好天気をもたらしたのである。わが思う「文化の日」は、長年にわたり日本社会に尽くされてきた人たちを称えて、日本国民こぞって感謝と祝意を示す日であろう。さらには日本国民のだれもが日本文化を尊び、いっそうの醸成を願って、「国民休祭日」として定めているのであろう。わが当てずっぽうゆえに、文化の日の定めの本旨については、文章を書き終えたのちに、ネット記事からの学びをする心づもりにある。さて、「文化の日」にあっては功労者(式典や祝辞)を称え、かつまたこののちの日本社会における、文化の醸成を願う大切な日にあって、自然界(気象)は絶好・絶妙の秋晴れを恵んでくれたのである。文化の日に続く「振替休日」にもまた、それを超えて絶頂とも思える好天気を恵んでくれたのである。確かに、三連休の初日(十一月二日・土曜日)には、土砂降りをともなう雨嵐だった。しかしながらこの日の雨は、気象予報士が伝える予報の想定内だった。明けて自然界(気象)は、三連休の残りの二日、すなわち三日と四日にあっては、予報どおりの好天気をもたらしてくれたのである。このことでは文化の日の祝典、明けて振替休日にあっては物見遊山、共に晩秋の絶好の秋晴れに恵まれたのである。物見遊山ではその絶好の証しにも思えて、わが家近くの「天園ハイキングコース」には、私が意図して掃き清めていたわが家周りの道路を踏んで、老若男女(ろうにゃくなんにょ)多くのハイカーがコースの入口へ向かっていた。私はいつものように独り、秋晴れに誘われていつもの大船(鎌倉市)の街へ買い物に出かけた。好天気の下、すこぶる気分の好い買い物だった。買い物に繰り出していた多くの人たちもまた、好気分だったのであろうか。物価高のおりにもかかわらず、多くの品物を手あたりしだい籠に入れて、レジでは躊躇なくお金を支払っていた。現下の日本社会は総選挙を終えてまだ日が浅く、人心の乱れるところにある。しかしながら、三連休の残りの二日の好天気は、総じて日本国民の気持ちに和みを恵み、日本社会にいっときの平和をもたらしていたのである。この間は、21号台風のニュースも薄らいでいた。さらには、天変地異鳴動のニュースも免れていた。繰り返しくどくほど書いたのは、わが自然(界)賛歌の極みに遭遇し、その幸運を堪能していたからである。あれれ、夜明けは朝に向かうにつれて、大空のところどころには白雲を浮かして、日本晴れの風景を見せ始めている。欲深い私は、曇りの予報を覆し、三日続きの秋晴れを願っている。秋晴れでも、きょうには買い物の予定はない。きのう、たくさん買い込んだからである。きのうの買い物帰りにはバスを降りて、わが家へ続く道の途中にあっては、私は背中のリュックの重さと、両提げの袋が道路に這いそうなのを気遣って、何度も立ち止り、フーフーと息を吐いた。秋晴れはわが額(ひたい)から、地上に汗を垂らした。見上げる大空は、隈なく日本晴れだった。重たい足取りは弾んだ。玄関口のブザーを押すと、かなりの時間が経って、妻がにこやかにドアを開けた。「ありがとう」。私は倒れ込むようにして土間へ入った。「ご苦労さん。パパ。汗がいっぱいよ」。私は、妻から渡されたタオルで汗を拭いた。秋晴れが恵んだ、わが家の好日だった。