深夜、「よふけ」の意味調べ

目覚めて二度寝にありつけずに、しかたなく起き出している。パソコンを起ち上げる前に、机上に置く電子辞書を開いて、簡易な日常語「よふけ」の意味調べを試みた。夜更け・夜深け:夜がふけたこと。また、そのころ。深夜。さらには「ふける」の意味調べを試みた。ふける『更ける・深ける』:夜が深くなること。深更になる。現在のデジタル時刻は目覚めてからかなり時が過ぎて、1:53と刻んでいる。簡易な日常語にもかかわらず、なぜ時間をかけてまで電子辞書に縋ったかと言えば、その理由はこうである。「夜がふける」という言葉の用い方に、不安を抱いていたからである。意味調べのあとでは、不安なく用いられそうである。私が目覚めたのは、きのうときょうの境(区切り)あたりの12時頃だった。それゆえに、「よふけ」の用い方に戸惑っていたのである。電子辞書の「よふけ」には「深夜」ともある。すると「よふけ」は、日替わりの区切りに関係なく、どちらにも用いることができることを確信できたのである。私は電子辞書を寝るときには枕元に、起き出して来てパソコンを起ち上げるときには机上に置いている。言うなれば電子辞書は、枕元の友であり、机上の友でもある。電子辞書は国語辞典に比べれば、雲泥の差のごとくにかけ離れて、軽量ゆえの簡便さがある。このことに味を占めて、かつて(六十歳の手習い初めの頃)の私は、買い物のおりの背中のリュックには、必ず電子辞書を入れていた。わが不断の買い物の街・大船(鎌倉市)までは、定期路線のバスに乗り、片道20分ほどかかる。もちろん、往復乗らなければならない。途中、バスが渋滞に巻き込まれるときなどには、往復にすれば1時間ほどかかる場合がある。そんなとき、バス乗車に強いられる長い時間に沸き立つ腹立たしさを収める役割をしてくれていたのは電子辞書だった。携帯電話の頃までもときには、私はリュックの中には電子辞書をしのばせていた。買い物帰りのわが姿は、背中には買い物を入れてダルマのように膨らんだ国防色の大型リュック、さらには気を引き締めていないと、今にも地に這いそうになる両手提げの買い物袋を持っている。だからバスを降りてこの姿は、戦時中あるいは疎開先での買い出し風景の丸写しだなと思い、自分自身自嘲気味に横揺れ、ヨタヨタしながらわが家への道を歩いている。携帯電話をスマホへ買い換えて以降は、おのずから電子辞書の役割はスマホに代わり、大助かりである。しかしながら、スマホにも難点がある。すなわちそれはすばやい電源切れである。ところがこれに気付いて以来、私は携帯用の充電器を購入しリュックに入れて、臨戦態勢でバスに乘っている。もちろん、こんなことを書くために深夜に起き出しているわけではない。けれど、きょうの咄嗟のネタ代わりにはなっている。語彙(言葉と文字)調べにあっては、電子辞書とスマホの効用はどっこいどっこいである。だから私は、電子辞書およびスマホ共に、特長を理解して使い分けている。かつて、愛読書とおして馴染んでいた国語辞典類は書棚の中で、終活の対象物として怯(おび)えている。だけど、かつての恩恵を鑑みれば無下(むげ)にはできない。一方、電子辞書とスマホはわが命尽きるまで持ちこたえそうである。ところが、こんなに有効便利なものがありながら、わが生涯学習はすでに頓挫している。山の早起き鳥の鳴き声を待たずに目覚めて起き出したのは、私は気狂い(認知症)なのであろうか。自分自身にはその自覚(認知)はないけれど、人様の認知は知りようがない。「文化の日」(11月3日・日曜日)の「ダジャレ文」と願うところである。夜長にあってはまだ、よふけ(深夜)と書いてよさそうである。時間がありすぎるのも、書き殴りが長くなるばかりで、困ったものである。