「秋の朝」、つれづれ

 あすの「スポーツの日」(祝休日)を控えた中日(10月13日・日曜日)、夜明けの頃はとうに過ぎて、朝と言える「時」に起き出している。だけどいつもとは違って、熟睡と安眠がともなった気分の好い朝寝坊である。ところが自然界は、これにさらなる好気分を上乗せしてくれている。目覚めると私は、部屋の明るさに驚いて大慌てで起きた。そして、元からカーテンの造作のない前面の窓ガラスは要なしに、ほかの窓ガラスに掛かるカーテンのすべてを開いた。すると見渡すかぎりに、全天候型の胸の透く日本晴れの「秋の朝」が訪れていた。むかし、「体育の日」(10月10日)と言っていたこのあたりは、初秋、中秋、晩秋という、秋の三区分の中にあってもやはり、好季節の真っ只中にある。ようやく自然界(気象)は、きのうの三連休の初日(10月12日・土曜日)あたりから、本来の秋の恵みをもたらしている。あしたもまた日本列島には隈なく、「スポーツの日」にふさわしい好天気が訪れそうである。ここにきて自然界は、本来の秋の恵みを人間界にもたらすだろう。これに関して願うところは欲深く、地震を筆頭とする天変地異が起きないことである。
 現下の人間界いや日本社会は、衆議院の解散にともなう、立候補者の公示日(10月15日)を前にして、総選挙(選挙運動)の走りにある。そして、その投開票日(10月27日(日曜日)までのこの間は、まさしく人間のこころ善悪、剥き出しの選挙戦になり変わる。できればこれに呼応し自然界は、これまたわが欲深く、雨傘要らずの街頭演説を恵んでほしいと願うところである。
 朝が昼へ向かうにしたがってきょうもまたわが心は急いて、挙句文章はまったく実のない殴り書きと走り書きに陥っている。ゆえにこの先を苦しんで書いても文章にはならず、加えてせっかくの好気分は塞ぐばかりである。ゆえにここで、結文とするところである。
 きのうのクライマックスシリーズ第一戦は、わがファンとする阪神タイガースは、横浜ベイスターズに敗れた。きょうの第二戦に敗ければ、たちまち万事休すである。幸いにもきのうの負けによる憂鬱気分は、「秋の朝」が恵んだ好気分でかなり和らいでいる。できればこれまた欲深く、きょうはテレビの前で妻と相和して、タイガース応援グッズの一つ、メガホンをときには口にあて、ときには力いっぱい打ち鳴らしたいものである。秋天高く日本晴れの甲子園球場には、球場の収容定員(47、400人)満杯までに、観衆が訪れるだろう。涙にはうれし涙と悔し涙がある。テレビの前の二人の瞼には、どちらかの涙が溜まりそうである。
 こんな文章! こころ急(せ)いてまで無理して書く価値はない。自分自身がしでかした罪(駄文)なのに、ちょっぴり恨んでいる。身勝手に罪をほかになすりつければ、好気分をもたらした「秋の朝」のしわざなのかもしれない。