夜来の雨

きのうの「秋分の日」にともなう「振替休日」(9月23日・月曜日、休日)の夜明けが訪れている。過ぎた「敬老の日」の日に書いたように、9月のカレンダーには三連休が二度ある。するときょうは、二度目の三連休の最終日である。好季節にあって、勤務で働く人たちにとっては、うれしくてたまらない一日と言えそうである。勤務時代を顧みて、怠け者のわが身に照らしての切ない思いである。大降りではないけれど、夜明けにあっては雨が降っている。なんだか、この先一日じゅう降りそうな、しとしと降りである。三連休最終日にあって、近場に物見遊山を当て込んでいた人には、憎たらしい雨と言えそうである。就寝時には雨なく、そののちの夜来の雨である。間抜けな私は、閉めていた最寄りの窓ガラスを開いた。すると、強い風が、冷たい雨をわが身体へぶっつけた。私は冷たさに驚いた。いやいや、寒気に身震いした。秋分の日が過ぎて季節は、文字どおり確かな屈折点を迎えている。好季節はこの先、日を追ってわが身体の嫌う、冬へ向かうをことを知らされたのである。さて、私はスポーツにおいて「時の話題」を浮かべて、起き出している。野球界では、連日の大谷選手(アメリカ・ドジャース球団)の活躍ぶりである。一方、きのう千秋楽を迎えた大相撲秋場所においては、関脇大の里が二度目の優勝を果たし、同時に大関昇進を確かなものにした。大谷選手の活躍ぶりは今や、国の内外に沸騰している。だから、わが寸評を添えることはない。一方の大の里は、こののちの大相撲界にあっては、敵なしの「一人天下」になりそうである。すなわち大の里は、大関からすぐに横綱へ昇進し、無敵の大横綱になりそうな予感と、それを確かなものにする強さがある。きょうのプロ野球では、今シーズンの「セ・リーグ」の優勝・覇権を分ける、天王山と言える試合がある。それは宿敵同士と言われている、読売ジャイアンツ対阪神タイガースの試合(兵庫県、阪神甲子園球場)である。私は兵庫県の雨無しを願い、試合あってファンとするタイガースの勝利を願っている。ここまで終始パソコントラブルに怯えて、挙句、訳の分からい文章を書いてしまった。ゆえに、恥を晒したままに、結文にするものである。夜来の雨は、まだ降り続いている。私の脳髄は、歪(ゆが)んでいる。