「秋分の日」礼賛

「秋分の日」(9月22日・日曜日)。薄く晴れて肌身が和む清々しい夜明けが訪れている。肌身に当たる風は、確かに暑くもなく寒くもない、満点の心地を恵んでいる。ゴルフのプレイに例えればさしずめパープレイであり、ケチのつけようはない。84年生きてきていまさらながらだけど、身体的には体験上も科学的にもきょうあたり、最も凌ぎ易い気候と実感している。秋分の日に対抗する「春分の日」にあっては、確かに冬の寒さを脱するけれど天候はぐずついて、心地良さにおいて秋分の日には大負けである。着衣を鑑みても秋分の日あたりまでは、上肢は薄い肌着一枚に半袖シャツ、下肢は家内ではステテコ、外向きでは半ズボンでも構わない。夜具はまだ薄手の夏蒲団、あるいはそれさえ撥ね退けてごろ寝でも構わない。入浴時における着脱の面倒くささは未だ免れる。精神的には暑さが遠のいて、入れ代わる涼感が安楽をもたらしてくれる。自然界は実りの秋を恵んで、おのずから日々「食欲の秋」旺盛となる。これらに加えてわが関心事を一つ記すと、秋分の日前後あたりから気候に恵まれて、スポーツの秋はまたたけなわを成す。パソコンに怯えてようようこれまで書いたけれど、きのう同様にいつ断たれるかと、現在は戦々恐々の状態にある。それゆえにこの先は書かず、尻切れトンボを厭わず恥じず、ここで結文を決意する。わが意の半ばにも満たない生煮えの文章だけど、没するには惜しいゆえに表題を決めて残した。すなわち、「秋分の日」礼賛である。いやいや、正直なところきわめて恥ずかしい心地にある。おやおや、先ほどの晴れ模様の天気は、一変雨模様へ変わっている。「女心と秋の空」の成句が浮かんでいる。