「パリ・オリンピック」における、テレビ観戦の心得

7月28日(日曜日)。きょうもまた雨なく、のどかに晴れた夜明けにある。わが夏の朝の礼賛は続いている。アスリート(競技者)とはズバリ、スポーツなどの身体運動などを通して、文字どおり技を競い合う者たちを言う。ゆえに、スポーツマン、スポーツ選手、運動選手など、呼ばれている。しかしながら私の場合、この呼び名のニュアンス(響き)は、長年鍛え上げてきた技の持ち主たいしてだけ、崇めて言いたいところがある。いよいよわが夫婦には、待ちに待っていた「パリ・オリンピック」のテレビ観戦が始まっている。4年ごとに行われる夏季・冬季のオリンピックは、まさしく世界中のアスリートが長年鍛え上げてきた技を競い合う(競技)、華ある世界大会(大祭典)である。だったら、テレビ観戦とはいえ、観なければ大損である。世界の国々から選ばれ晴れて、オリンピックに出てくるアスリートたちには、物心ついて以降長年、技を鍛えてきた人もいよう。あるいはオリンピックを見て、一念発起してみずからの得意技を究めて、ほぼ同意語を用いればすなわち悲願と宿願を果たして、出場が叶った人もいよう。総じてこれらの人たちにたいして、メデイアが「メダル(金銀銅)一辺倒」騒ぎに陥ることには、腹の立つところがある。しかし一方では、この騒ぎがあってこそ、オリンピック自体、盛り上がることも事実である。競技会であればやはり、金銀銅の順位づけはなくてはならないと認めて、栄冠を授けて勝利者を称えなければならないところはあろう。きのうのわが夫婦のテレビ観戦は、ほぼ男子バレーボールの日本対ドイツ戦に終始した。試合はセットカウント2対3で、日本は惜敗した。ところが、15点マッチの第5セットも最後まで点の取り合いの末に、日本は負けたのである。しかし、この試合は予選リーグの一試合ゆえに、この先の相手(アメリカとアルゼンチン)との勝利しだいでは、息の根はまだ残されている。ときたま、柔道、水泳、バスケット、ハンドボールなど、まさしく入り乱れてのテレビ観戦が続いた。私は日本代表選手における、メダル獲得者(勝利者)だけに拍手喝采することは慎み、さらには世界のアスリートの技を堪能したいとも思っている。しかしながらこのことは、絵に描いた餅すなわち、「言うは易く行うは難し」である。なぜなら私は、泰然自若の聖人君子ではなく、メデイアに煽られて見境なく食いつく、ダボハゼみたいなものだからである。「パリ・オリンピック」のテレビ観戦の心得は戸惑うばかりである。