無実の罪で牢屋入り

 6月13日(木曜日)。田園に立っている案山子(かかし)は、人間に見える。道端に佇む私は、案山子に見える。わが脳髄は、空っぽのほうがましである。だけど、屑がいっぱい詰まっている。もう、こんなことしか、書けなくなってしまった。夜明けは、必ずやって来る。つれて、目覚めれば、文章を書かなければならない。ゆえに、無実の罪で、牢屋に入っている心境である。
 夜明けの空は、遅れている気象庁の梅雨入り宣言を誘うかのような曇天である。それでも、わが心中の空より晴れ模様である。私は恥を晒して、書くまでもないことを書き始めている。確かに、気鬱症状にはある。しかし、気違いの自覚はない。嘆きながらこんな文章を書いているのは、書き続けることを自らに負荷しているせいである。だったらもう、束縛という箍(たが)を外すべきである。表現を変えれば、「潮時」を敢行すべきである。
 気違いじみた文章はここで結び、階段を駆け下り、道路の掃除へ向かう。そして、老いた案山子に見間違えられないように、私はせっせと箒を揺らすつもりでいる。山のウグイスだけは鳴いて、同情のいや、哀れみのエールを送ってくれるはずである。加えて、「おはようございます」という、人間の声に出遭えば万々歳である。