ウグイスと私

 6月12日(水曜日)。寝坊した夜明けにあって、朝日がキラキラと輝いている。慌てふためいている起き立てにあって、まったくネタが浮かばない。こんなときは、休めば恥をかくことはない。ところが、パソコンを起ち上げてしまった。気乗りのしない、後の祭りである。だから無理矢理、ネタとは言えない気違いじみたことを浮かべている。それは、きのう感じたことである。
 わが耳にはほぼ一日中、山のウグイスの鳴き声が聞こえていた。このとき、バカな私は心中にこんなことを浮かべた。私はウグイスの生態、特に身近なことでは日常(生活)を知ることはできない。間断なく大きな声で鳴き続けているのは、一匹であろうか。それとも集団で、時を分け合って、鳴いているのであろうか。鳴き声とて、「ホウ、ホケキョ、ケキョ……」の単調、すなわち一辺倒ではなく、様々に工夫を凝らしている。ゆえに、一匹で鳴ける技能とは思えない。すると、人間界のオーケストラ(楽団)のごとくに、やはり集団でパート(役割)を決めて、鳴き続けているのであろうか。素直と言おうか、バカと言おうか、私はこんなことを心中に浮かべていた。もちろん私は、ウグイスの快い調べに感謝しきりだった。
 ネタのない夜明けは、常に億劫である。朝日の輝きぐあいからすれば、気象庁の梅雨入り宣言は、月末あたりまでに日延べになりそうである。私はともかく、ウグイスは喜び勇んで、鳴き続けてくれるだろう。おのずから私は、無償で鳴き声に癒される。山からわが庭中へ飛んで来れば、私にはお礼返しに何らかの食べ物(餌)を用意する心づもりはある。しかしウグイスは、老醜きわまる私に怖気(おじけ)ついて、飛んでこない。お礼のしようはない。やはり、ウグイスは「バカ」なのか。
 子どもの頃の私は、近所の遊び仲間たちと大声をそろえて、ウグイスにたいし「バカ」と、叫んでいた。メジロを囮(おとり)にして籠をかけて、鳥もちを塗った枝を翳しても、ウグイスはたったの一度さえ掛からなかった。ウグイスへの「バカ」の呼称は、その腹いせだったのである。きょうも朝っぱらウグイスは、音調を変えて鳴き続けている。