危機

 6月7日(金曜日)。近く、気象庁から梅雨明け宣言がありそうなどんよりとした空模様の夜明けが訪れている。きのうは短い文章だったにもかかわらず、間抜けなミスをしでかした。気象庁の梅雨入り宣言はまだなのに、梅雨の合間と、書いてしまった。本当は梅雨の合間のようなと、書くべきだった。いつも、ミスをしでかしたあとの気分は憂鬱である。ところが、ミスのない文章はほぼない。おのずから、そのたびに嫌な気分になる。素人の文章ゆえにしかたないとはいえ、わが気分はすぐれない。書き殴りのしわざと、弁解の余地はない。きょうもまた恥を晒して、書くまでもないことを書いている。ゆえに、ここで結文にしたいところである。すると、おのずから継続文の足しにはならない。
 きのうの私は、妻の髪カットの引率同行で、いつものわが買い物の街・大船(鎌倉市)へ出かけた。妻の歩行は、だんだん危なっかしくなるばかりである。連れ添うわが気分は、つらい情愛に様変わり始めている。妻の歩行の変化は、如実に人生行路の変化を露わにしている。遅かれ早かれやがて、わが身(配偶者)もまた同然になる。髪カットを終えたのちは、歩いては立ち止まり、一息ついてはまた歩いた。昼日中のわが夫婦の現時点の生き様である。
 昼食には「餃子の店、王将」へ入った。テーブルに置かれた、エビチリ、ニラレバ、餃子、御飯を分け合って食べた。こののちはあちこちの買い物めぐりで、ヤマダ電機と西友ストアにも出向いた。ほぼ一日がかりの同行だった。けれど私は、妻の足取りに連れ添い我慢した。我慢の証しは、この言葉にあらわれていた。
「きょうは、小旅行みたいだったね」
 妻は機嫌よく、「そうね」と、相槌を打った。
 この書き殴りの文章にあって、のちにミスを気づけば、わが気分はまた憂鬱になる。いつもの繰り言を繰り返そう、わが文章は潮時にある。こちらも繰り返そう、すでに梅雨入りしているかのような夜明けの空模様である。