「天佑神助」と「天祐自助」

 5月11日(土曜日)。きのうのわが願いが叶ったのかもしれない。二日続けて、朝日輝くのどかな夜明けが訪れている。ゆえに地上の人間界には、天界の恵みが溢れている。いや人間界のみならず、ウグイスは喜び勇んで鳴いている。地中の虫けらも、土の温もりを感じて蠢(うごめ)いているだろう。太陽の恵みは、森羅万象にあって偏(かたよ)りはない。おのずから私は、空中機上のパイロットの真似事をしたくなる。「視界良好。遮(さえぎ)るもの一切なし、出発進行!」。
 寝起きの私は、気分良好、愚痴るものはない。まさしく気分は、「天佑神助」さながらである。「天佑神助:天や神によって助けられること。天の神の助け」。普段、神様に助けられることはまったくない。けれど、「天の神の助け」であれば、電子辞書の説明文をちょっぴり信じよう。あれれ、こちらは電子辞書にはない。しかし、常にわが肝に銘じている四字熟語である。それは「天祐自助」。これは、勤務する会社の大講堂の前面上部の横断幕に、墨痕太く揮毫されていた言葉である。読み下し文にすれば、「天は自ら助くる者を助ける」でいいだろう。表現をかえれば、「天は、怠け者は助けない」。
 これまでの私は、確かに天の助けを授かったことは一度もない。私は、根っからの怠け者なのであろう。天界の恵みに遭って、きょうだけは愚痴るつもりはなかった。ところがやはり、愚痴ってしまった。結局、私の場合は、愚痴るネタがなければ、「ひぐらしの記」の継続はあり得ない証しである。愚痴るネタばかりでいいだろうか? と自問するけれど、是非の答えはない。私はさ迷っている。