「目に青葉山ホトトギス初鰹」(山口素堂)。5月10日(金曜日)。頃は好し、風雨なくひっそりとのどかに晴れた夜明けが訪れている。自然界の恵みはくまなく万端である。日がめぐり、朝・昼・晩は時を変えて、必ずやって来る。そうであればいつも、こんな朝を迎えたいものである。なぜなら、自然界すがりとはいえ、おのずからわが気分は爽快である。寝起きにあって、こんな気分になるのはめったにない。まさしく、天界がくれた好気分である。
このところのわが気分は、滅入っている。ゆえに、天界の粋なはからいである。気分が滅入る根源は、恥を晒して文章に記してきた。反面、晒し記すことで、気分の滅入りを和らげてきた。確かな、愚痴こぼしの恩恵である。生来の「身から出た錆」、すなわち私は、小器とマイナス思考の塊である。もとより、先天の悪性を後天で矯(た)め正すことはできない。だとしたら、なにかしらの対処法を探さなければならない。すると、探し当てたところは愚痴こぼし。案外、愚痴こぼしがその役割を担っているのかもしれない。
こう気分を損なう、恥晒しの文章を書いてしまった。大沢さまからさずかった「何でも良いですから、書いてください」のお言葉に、悪乗りしてしまったのである。わがお里の知れる文章である。それでも、書かないより書いたほうがましである。愚痴こぼしは、確かにわが生きるエネルギーの一端を成している。しかし、人様には迷惑至極である。朝日は、初夏の大空を青く色成している。