桜の花は平和の象徴 

4月8日(月曜日)。いよいよきょうあたりから日本社会は、出会いの月4月にあって、人々の本格的な実動が始まる。学ぶ者は勉強に、働く人は仕事に本腰が入ることとなる。人間の集団を成す実社会が動き出すのだ。まもなく夜が明ける。この時間(5:17)、雨は降っていないようだ。きのうは夜が明けるとやがて、夜来の雨は降りやんだ。私は時刻表8時15分のバスに乗り込んだ。向かう先は、次兄の一周忌が営まれる、東京都国分寺市である。一周忌法要は、次兄宅の近くの寺である。開始時間は、午前11時と案内されている。私は自宅に立ち寄り、長男で甥っ子の車に乗り、寺へ着いた。時間に間に合って安堵した。生きている次兄に会う愉しみはない。私は、お坊さんの読経に聞き耳を立てた。法要(儀式)は、しめやかに、かつ、おごそかに営まれた。私は心の中に、掲げられていた次兄の穏やかな顔の遺影をきっちり刻んだ。遺影は、どんなに美しく撮られていようと別れのしるしである。私の周りには甥っ子・姪っ子、それらの家族がうちそろっている。もとよりみんな顔見知りであり、ゆえに出会いの言葉をかけあう。一周忌の法要が済むと、そろって寺を出た。「昼膳は自宅で用意されています」と、次兄の長男がみんなに言う。私は三兄の長男・甥っ子(東京都昭島市)、四兄の長男・甥っ子(国分寺市内恋ヶ窪)と連れ立って、のんびりと歩いて、自宅へ向かった。この間には、名所「国分寺史跡」がある。原っぱまがいの史跡は広大である。史跡全体は、満開の桜の花に彩られていた。桜木の下には三々五々、花見客が集って花見を楽しんでいた。のどかで平和な光景である。一年前のこの時期の私には、桜を見る気持はなく、入院している次兄の病床の傍らで何日か寝泊まりして、苦悶を続けていたのである。そのせいか私は、国分寺史跡で見た桜光景ののどかさと、集い合う花見客の和みに、度肝を抜かれていた。ところが、ここに留まらずきのうのスマホには、あちこちの友人、知人から、桜だよりが満載にとどいた。桜の花は、まさしく平和の象徴と実感した。夕闇迫る6時過ぎに、わが家へ帰り着いた。玄関口のブザーを押すと、妻が出向いてドアーが開いた。私の口は開いた。「ただいま。ありがとう。あした、若宮大路(鶴岡八幡宮の参道)の花見に行こうよ。桜、満開だよ」。不意を突かれた妻は「おかえりなさい。パパ、どうしたの? そうね…」と、キョトンと言葉を返した。人の命は尽きる。桜の花も尽きる。私は、心急いていたのかもしれない。ただきょうは、あいにく雨の予報である。確かに、夜明けの空は雨を呼びそうな曇り空である。ウグイスも出番を挫かれて、鳴き声を躊躇している。雨に打たれて散り急ぐ桜の花はしのびない。憐憫の情をたずさえた花見になるかもしれない。