「つらい、時の定め」

年度替わりのきょう4月1日は、切りよく月曜日からのスタートである。夜明け前にあっては、まもなく夜明けが訪れる。気象予報士の予報に狂いがなければ、雨風のない朝日輝く穏やかな夜明けであろう。夜明けの空は、そう願いたいものである。もとより、人間界および自然界共に、一寸先は闇の中である。とりわけ、天変地異に遭遇すれば人の世は、たちまち阿鼻叫喚をさらけ出す地獄絵を見ることとなる。別れの月3月から、出会いの月4月、へ替わった。おのずから、寝起きのわが心境も変わっている。しかし、必ずしも好転にありつけていないのは老齢のせいである。新年は、正月元旦に始まる。実社会の新年度は、きょうから始まる。初詣や雑煮餅を囲んでの家族団欒はないけれど、それらに似た厳かな年度初めの儀式は、実社会のあちこちで催される。学び舎であれば入学式、企業や役所であれば入社式や入庁式がある。個々人の出会いの互いの挨拶も、「初めまして、よろしく」などの言葉をともなって新鮮である。このところ身近なところで別れの光景を見たものには、テレビ映像を通しての卒業式光景がある。加えてきのう、NHKテレビを観ていると、キャスターの別れの挨拶が相次いだ。明けてきょうのテレビを観れば、新たなキャスターの挨拶が相次ぐであろう。これまたおのずから、見入るわが気分も新鮮になる。新年度になってもいっこうに様変わりしないのは、「裏金問題」を引き継ぐ政治(家)の舵取りである。これこそ旧態依然そのままであり、できれば旧(前)年度にけりをつけていてほしかった。与野党共通の政治(家)の体たらくぶりのさらけ出しである。桜の花は日本列島の地域それぞれに、開花と満開の喜びや楽しみを恵んで北上を続けている。人の営みはこの先、悲喜交々に新たな年度を移りゆく。きょうは、否応なく季節のめぐりを実感する月替わりである。残りの命を限る老いのわが身には、寂しさつのる月替わりでもある。満開の桜とて、すぐに葉桜模様になる。人間界および自然界共に、月替わりと季節のめぐりは、「つらい、時の定め」である。走り書きが速すぎて、まだ朝日は雲隠れである。それとも、予報の外れであろうか。天変地異さえなければ、どちらにも恨みつらみはない。