日を替えて「立春」(2月4日・日曜日)が訪れ、現在のデジタル時刻は1:23と刻んでいる。私は寝床から起き出して、文章を書き始めている。気分を殺がれていたので、書くつもりなかった。だから、寝床の中で布団を被り、ミノムシのごとく丸まっていた。ときには、干しエビのごとく身を曲げていた。文章はだれのためではなく、自分のために書くのだ! と、半ば嘯(うそぶ)いて、これからも書き続けることを自分自身と約束した。
「パパ。きょうは節分(2月3日・土曜日)だったのね!」
「そうだよ。豆、撒かないの? 鬼退治に豆を撒いてよ……」
妻は傷めている体のあちこちへ気を遣いながら、茶の間のソファからヨロヨロと立ち上がり、台所へ向かった。妻は買い置きの「福豆」の大袋を持ち出してきた。そして、奇怪な行動を始めた。妻は閉めていた窓ガラスと雨戸を静かに、隣近所に憚(はばか)るようにちょっぴり開けた。
「何するの?……」
私は、妻の行動を訝(いぶか)った。妻は片手の手の平に、福豆のいくつかを握りしめていた。次には、その手の腕を暗闇に伸ばした。妻は福豆を暗闇に投げつける手振り繰り返した。格好だけで妻は、福豆は投げなかった。私は妻の行動を合点した。妻の手の平が暗闇を突くのに合わせて私は、大声で「鬼は外、鬼は外、鬼は外、福は内、鬼は外、鬼は外、鬼は外、福は内、……」を繰り返した。
妻の行動が切なくなり、
「不断、おまえにとっておれは鬼だろ? だったら、俺に豆を投げつけろよ。俺は、投げつけられることを覚悟しているよ」
「パパって、バカねー」
妻は福豆が入った小袋(分包)の一つを私に手渡した。妻は自分の分包から福豆を取り出し、口に含んだ。私は福豆の何粒かを一度に口に入れて、ムシャムシャ噛んだ。入れ歯がガタガタの妻の歯は、福豆を噛めない。私は新規(1月15日作製)の入れ歯を入れていた。それゆえにわが歯は、容易に福豆を噛めた。
妻の咄嗟の機転で、夜更けの豆まきはほどなく終わった。立春からこの先、福豆がわが家へ福をもたらすかどうかわからない。おまじないゆえに、福は望めなくてもいい。けれど、まかり間違っても災厄だけは免れたいものである。妻は恵方巻のことは言わずじまいだった。昼間のNHKテレビニュースでは恵方巻の由来や、地域のことしの縁起のいい方角のことなどを、街頭インタビュー光景の中で盛んに報じていた。
節分とはいえ、きのうの鎌倉地方の寒気は、耐えようないほどにいたく肌身に沁みた。ところが立春になったばかりの現在は、寒気はまったく和らいでいる。私は、いまだ決めかねている表題を心中にめぐらしている。