予告の降雪予報の採点

1月26日(金曜日)、起き立て(4:27)にあって私は、こんな想念を浮かべている。冒頭から記しているけれど、きょうの文章にあっては、付け足しの番外編にすぎない。寒気はすでに過ぎた「大寒」(1月20日)を底にして、春へ向かって擂り鉢の底を這い上がるどころか逆に、なお奥の大底を探るかのような無茶苦茶ぶりである。しかしながら私は、(バカにするな!)と声なき声で、寒気を懲らしめることはできない。いや私には、暴れん坊のなすがままに、じっと耐えるしか能がない。さて、掲示板上に書いているわが文章は、行替えのない書き殴りである。このため、ご好意で読んでくださる人たちには、きわめて読みづらいものである。これには、こんな理由がる。掲示板の文章は、大沢さまのご厚意に授かりのちには、まずは「ひぐらしの記」のブログに、こちらは行替えをされて移記される。そして次には、これまた大沢さまにはさらなるご面倒をおかけして、栄えある製本(単行本)へ編んでくださっている。この間には私は、大沢さまからり「行替えなしがし易い」という、サゼスション(示唆)を賜っている。もとより私は、この示唆に逆らうことはできない。なぜなら、起き立てに書き殴るわが文章はいずれ、わが生来の夢のまた夢、すなわち壮丁奇麗な「単行本」へと、なり替わるのである。もちろん叶わなぬことだけれど、こんな僥倖にありついていることを草葉の陰の父と母が知れば、私をしっかり抱いて喜ぶこと請け合いである。しかしながら一方、ご好意で掲示板を覗いてくださるご常連の方々には、読みづらい書き殴りにすぎない。ところが、きのうの私は、読みづらさの典型とも言える、長文をだらだらと書いてしまった。400字詰めの原稿用紙にすれば5枚強(2000字を超える)の長さだったのである。きょうの私は、まずはこの無礼を詫びる心づもりをたずさえていた。ところがあにはからんや! きょうの文章もまた、きのうの二の舞になりかけている。きのうの私は、まったく久しぶりに掲示板上のカウント数をメモした。その理由には二か月余の空白のせいで、自業自得とはいえカウント数は激減をこうむっているはずだと、思っていたからである。ところが幸いなるかな! カウント数の激減はまのがれて、いやそれどころか思いがけない数を数えたのである。だからこのことにはひれ伏して、ご常連のかたがたにたいし、感謝と御礼を記すものである。またな長々と書いて、読みづらい文章になりかけている。ゆえに、ここらで結文にするのが本当の詫び心であろう。しかしながら、予告していたこのたびの降雪予報の結末を素通りしては、わが身は廃りさらには「噓つきカモメ」に成り下がる。それを避けるために私は、降雪予報の当たり外れ、すなわち採点を試みる。先回の降雪予報は、追試に耐えないほどの赤点丸出しだった。しかし、降雪予報は外れてこそ、歓迎すべきところがあるから厄介であり、別物の予報とも言えるところがある。外れてももちろん、気象庁や気象予報士への非難は埒外にある。さて、このたびの降雪予報にたいするわが評価は、気象庁や気象予報士にたいしてはかろうじて合格である。能登半島を中心とする震災被災地における降雪予報は、幸いなるかな! 赤点すれすれだった。ところが、赤点を補って合格点へ持ち上げたものには、これら二つの雪降り情景三つほどの雪降り情景がある。必ずしも降雪予報どおりの日本海添いの地方ではなかったけれど、一つには名神高速・関ケ原インターチエンジ道路(岐阜県関ケ原町)付近における5キロに及ぶ車の立ち往生情景があった。二つ目には滋賀県米原市における、多雪からもたらされた人々の難渋ぶりの情景があった。これら二つは、NHKテレビニュースの映像から観た雪降り情景である。三つめは、思いがけないふるさとの雪降り情景であった。こちらはテレビ映像には現れなかったけれど、ふるさとの生家を守る、亡き長兄の後継者(長男)の妻からのLINE送りによる三枚写真と、平洋子様からの掲示板上へのご投稿文によるものだった。能登半島を中心とする震災被災地の降雪予報が、いくらか外れたことで合格点とはいえ、赤点すれすれだったことでは、私には気象庁と気象予報士をなじるつもりはさらさらない。雪模様のない、あさぼらけが訪れている。しかし、寒気が身に沁みる。