前田静良

ひぐらしの記

夜は長い

十二月十二日(日曜日)、4:34。目覚めた。生きている。起きた。パソコンを起ち上げた。頬杖をついている。書けない。止めよう。現在の心境である。  世の中は、年の瀬にある。何も用事はない。だから、焦ることはない。しかし、忙しい気分である。やは...
ひぐらしの記

睡眠薬を買えば、済むことだが…

癖になりそう。いや、すでに悪い癖になっている。もう文章は、書きたくない。こんな文章は、書きたくない。十二月九日(木曜日)、きょうもまた真正の真夜中、すなわち一時近くに一度目覚めて、二度寝にありつけなかった。数えるにはばからしいほどに、何度と...
ひぐらしの記

真夜中の迷い文

眠いのに、ああー、眠れない。仕方なく、起き出してきた。十二月八日(水曜日)、長い夜にあっては真夜中とも言える、1:33、と刻まれている。目覚めて寝床の中で、こんなことをめぐらしていた。頭脳は凡庸(ぼんよう)、顔は醜面(しゅうめん)、体躯は寸...
ひぐらしの記

身に沁みる「苦悩」

十二月七日(火曜日)、いまだに夜明け前にあって、きょう一日の始動のために、寝床から抜け出してきた。幸いにも、きのう身に堪えていた寒気は緩んでいる。だから、泣き言は免れるかと言えば、そうは問屋(とんや)が卸さない。なぜなら、寒気の有無にかかわ...
ひぐらしの記

生存のための手入れ

十二月六日(月曜日)、起き出してきたけれど、寒気が身に堪えている。自然界のまともな営みゆえに、もちろん我慢するしか能はない。きのうの昼間、茶の間のソファに凭(もた)れて、窓ガラスを通しのんびりと外景を眺めていた。このところ続いている、自然界...
ひぐらしの記

感極まる、ご投稿文に出合って……

十二月五日(日曜日)。長い夜にあっては、未だ真夜中とも言える、三時近くです。目覚めて、枕元に置くスマホを手にしました。きのうはズル休みをしたため、後ろめたくなり、掲示板を見るのを遠のけていました。しかし、目覚めての時間つぶしには、スマホに勝...
ひぐらしの記

年の瀬のしるし

十二月三日(金曜日)、手っ取り早いことではカレンダーを見やれば、年の瀬の訪れは知ることができる。これ以外に年の瀬通知にはどんなものがあるだろうかと、思いをめぐらしている。すると、最も早いものでは九月になると、郵便受けに投げ込まれる「おせち料...
ひぐらしの記

ことばをかえて、きょうは「自然界、絶賛」

十二月二日(木曜日)、時は年の瀬へ向かっている。この時季に飛翔する鳥の多くには、「冬鳥」と名づけられている。季節にかかわらずわが庭中にやってくる鳥には、スズメ、メジロ、シジュウカラ、コジュケイがいる。はたまた、あまり歓迎しないけれど、ヒヨド...
ひぐらしの記

わが気分を癒す、大空

十二月一日(水曜日)、とうとう今年(令和三年)の最終月が訪れた。今年もまた、つらい一年だった。いや、とりわけ、つらい一年だった。しかしながらつらさは、今年かぎりで打ち止めとはならない。それどころかこの先、生きているかぎり毎年、いや増してゆく...
ひぐらしの記

残念無念、「きょうの出来事」

加害者無き被害者の現われは、まさしく天災同様である。新型コロナウイルスはようやく収束に向かいつつあり、このところは気分の落ち着きに恵まれていた。ところが好事魔多し、再びこれにまつわる新たなニュースが伝えられた。「泣き面に蜂」の痛みなどはるか...