重たさの重なる一日

 古来いや地球開闢(かいびゃく)以来人間は、「万物の霊長」と、崇(あが)められてきた。しかしながらその実態は、野生動物や虫けらの生き様と同然(同類項)、いやむしろそれらをはるかにしのいで、浅ましく悍(おぞ)ましい生き様を続けている。現代の世にあっては、かつての井戸端会議などとは異なり、人様の個人事情(噂)を根掘り葉掘り口外することは、慎むべきと言われている。個人事情すなわち人権が尊ばれる時代である。それゆえ、きのう(七月八日・金曜日)起きた惨(むご)たらしい事件のことを書くことは、控えるべきとは知りすぎている。
 しかし一方、歴代の中で最長の総理としてご活躍された安倍元総理の遭難、すなわち非業の死ゆえに、私には弔意を表し、ひたすらご冥福を祈らずにはおれないところがある。自分や世の中の出来事を私日記風に書き続けている「ひぐらしの記」に免じて、このことだけは書いておくべきと思って、書いたものである。確かに、きょうは、このことだけで結文にすべきなのかもしれない。しかし、私日記の証しに、同日におけるわが行動の一部の付加を試みる。
 きのうの私は、わが普段の買い物の街・大船(鎌倉市)にある、「えぞえ皮膚科医院」の外来へ赴いた。自覚症状の病は大したことなく、市販の薬剤では飽き足らず、処方箋を書いてもらいに行った程度である。ところが、待合室に足を踏み入れると、まずは順番待ちの患者の多さにびっくり仰天した。受付の若い女性と、互いにマスク着用で対話した。
「予約されていますか?」
「いや、初診です。予約でないと、初診はだめですか?」
「いいえ、できます。ただ、今の時間であれば、診察は二時間ほど先になると思います。どうされますか? 番号札を渡しておきますね。この間は、院外にいても構いません。時間を見計らって、来ていただければいいです」
「わかりました。後でまた来ます。診察、お願いします」
 私は空き時間潰しに、買い物の予定の一部を最寄りの西友ストア大船店で済まして、空き時間を埋めきれず早めに一時間くらいのちに待合室へ戻った。そして、少しずつ空き始めていた椅子に腰を下ろした。
 渡されていた番号札には、142と記されていた。受付上部のデジタル表示板には129と表示され、残り30人とあった。表示板は、この数字が次々に変わっていく仕組みである。結局、ここで、一時間ほど待って、順番が来ると診察室へ入った。ほぼ三分間診療ののち、願ったりかなったり処方箋をもらって、最寄りの調剤薬局へ出向いた。こののちは、買い物用の大型リュックや買い物袋の膨らみを嫌って、後回しにしていた残りの買い物メモを完遂した。
 昼時とあって、行きつけの「すき家」へ出向き、いつものミニ牛丼(330円)を食べた。すでにわが財布の中には、いずれも大船の街にある、大船中央病院(主に内視鏡外来)、大船田園眼科医院(緑内障の経過観察)、宮本歯科医院(一度かかればエンドレス)、そしてこれらに、わが家最寄りの開業医・左近允医院(わが終末医院)の診察券がある。そしてこれらに、きのうから新たに診察券が一枚加わったのである。
 人間、生きることは、死ぬ物狂いである。スマホを開けば、相次ぐ事件のニュースに、腹立ちをおぼえた。台風四号にも事なきを得た上空には、さわやかな夏空がよみがえっていた。だから余計、私は突然の事件にいっそう腹立たしさをつのらせていた。買い物を背中の大型リュックと、両手提げの奥深くだだっ広い布の買い物袋にぎゅうぎゅう詰めにして、私はヨロヨロのノロ足で帰路に就いた。きのうは、買い物の重さだけでなく、気分の重たい一日だった。