前田静良

ひぐらしの記

わが生涯学習は、潮時!

六月二十四日(金曜日)、二度寝にありつけない。仕方なく起き出してきて、きょうもまた自分自身、まったく面白味のない文章を書き始めている。せっかく文章を書くのであれば、きのうの「沖縄、慰霊の日」にまつわる文章を書くべきであろう。テレビニュースの...
ひぐらしの記

樹木の年輪、人体の皺

樹木は、確かな年輪を刻んで生長する。これに関して、自問自答を試みる。人間は、身体あるいは精神のどこかに、年輪を刻んで成長するのであろうか。もとより、バカな問いかけなのであろう。私には、答えが見つかるはずもない。ところが、年輪とは似ても似つか...
ひぐらしの記

言葉の使い分けに悩まされている

六月二十二日(水曜日)、参議院議員選挙はきょう告示され、来月(七月)十日が投開票日となっている。これに先立ちきのうは、テレビにおいて党首討論が戦わされていた。しかしながら私は、聞き耳を立てることなく、リモコンスイッチでチャンネルを切り替えた...
ひぐらしの記

『夏至』

「夏至」(六月二十一日・火曜日)にあって懐郷、「内田川」の水面(みなも)の上や、出来立てほやほやの水田上空を飛ぶホタルは、すでに舞い姿を納めているのであろうか。それでも、ホタルに付き纏う思い出は尽きない。子どもの頃の遊び仲間のホタルにたいし...
ひぐらしの記

もう、送稿テストではないけれど…

六月二十日(月曜日)、「夏至」を明日にひかえた、雨のない夜明けが訪れている。窓ガラスを通して見えるアジサイは、彩り七変化(しちへんげ)に見頃を誇っている。現下、日本列島の梅雨の季節にあってこれまでのところ雨は、大過なく梅雨明けへ向かっている...
ひぐらしの記

再びの送稿テスト

六月十九日(日曜日)、きょうもまた私は、再びの送稿テストを試みている。そのため、くたびれもうけを避けるため、おのずから長い文章は、自制を決め込んでいる。ただし、夢遊病者の如くにヨレヨレの書き殴りのため、この決意の決着は私自身、まったく不明で...
ひぐらしの記

送稿テスト

命の終焉近くになってまで、わが身を思い、悩み患うのは、愚の骨頂とは知りすぎている。六月十八日(土曜日)、浅い夜明けの起き立ちにあって私は、わが生涯におけるいろいろ、さまざまな悔いごとを浮かべている。それらの中には生来ゆえに、悔やんでもどうに...
ひぐらしの記

小さな幸福

六月十七日(金曜日)、梅雨時、すっかりとは明けきれない夜明けが訪れている。おとといの夜、二度寝にありつけず起き出して書いた短い文章は、わが心象に飛んでもない僥倖をもたらした。きょうもまた、二度寝にありつけず、起き出して来たまま書いている。し...
ひぐらしの記

三つ巴の友愛がもたらした僥倖

神様は、初詣、賽銭、あるいは御百度を踏んで、いくらお参りしたり、願ったりしても、爪の垢ほどのご利益(りやく)さえ恵んでくれない。これに比べて現人神(あらひとがみ)の友人は、祈ったり、強請(ねだ)ったりなどしなくても、わが知らぬところでさりげ...
ひぐらしの記

ようやく叶えた、短い文

六月十五日(水曜日)、二度寝にありつけず、仕方なく起き出してきた。「丸山宏子さん」は掲示板へのご投稿はないけれど、『流星群』では親しい投稿仲間である。宏子さんの旧姓は「松本」である。渕上先生の名簿帳の点呼にあっては、わが名・前田の次に、「松...