前田静良

ひぐらしの記

夏風邪、秋風邪、「私はドジを踏んでいる」

九月十六日(金曜日)、季節は夏の名残の残暑をかなぐり捨てて、大車輪で秋へめぐり、日々秋の色合いを深めている。パソコンを起ち上げると、メディアニュースの並ぶ項目の筆頭には、「台風14号、日本列島は大荒れの予想」と、出ていた。台風11号は、沖縄...
ひぐらしの記

朝駆けの散歩の人から学んだ人世訓

九月十五日(木曜日)、薄く白みかけている夜明け前は、今にも雨が落ちそうな曇り空である。カーテンを撥ね退けて眼下の道路に目を遣ると、ひとりの朝駆けの中年女性が足早に歩いていた。こんなにも早く、散歩される人がいるのかと、私はいくらか唖然とした。...
ひぐらしの記

疲れが招いている「迷想文」

九月十四日(水曜日)、夜明けの空は曇り。このところぐだぐだと書いた長い文章のせいで、疲れ果てている。その祟りなのか? 寝床の中で、突拍子もないことを浮かべていた。人間、生存中に格差をこうむることには、仕方がないところはある。なぜなら、すべて...
ひぐらしの記

わが大好物の食べ物、「それは、ごま塩ふりかけの赤飯」

九月十三日(水曜日)、夜明け時の天気はいまだ夜明け前の暗がりのため、わからない。日付と天気は、日記帳の必須項目である。このところの私は、いくらか図に乗って、書き殴りにかまけてぐだぐだと、長い文章を書いてしまった。恥晒しに恥はないけれど、ご好...
ひぐらしの記

「作者冥利」という言葉は、夢まぼろし

九月十二日(月曜日)、きょうもまた私は、夜明け前の電灯の下、パソコンを前にして木椅子に座っている。眠く瞼は半開きだけれど、執筆時間はたっぷりとある。睡眠中はもちろんのこと、起きてパソコンに向っているときには、難聴用の集音機は両耳から外してい...
ひぐらしの記

切ない「特上寿司」

九月十一日(日曜日)、いまだ夜明け前の暗闇にある。夜が明ければ快い秋風をともない、朝日が輝くであろう。きのうの昼間の胸の透く秋空を見上げて、私はこんな思いを膨らましていた。すなわち、天変地異のない自然界の恵みは、人為のどんな恩恵をも凌ぐもの...
ひぐらしの記

文章にならない、書けない

九月十日(土曜日)、起きて窓ガラスを開けたら、冷ややかな秋風が吹き込んだ。望む大空は少し明るんで、淡い日本晴れである。ようやく待ちくたびれていた、さわやかな空の夜明けである。それでも風が強いのは、南の海に発生したと言う、台風の前触れであろう...
ひぐらしの記

人生訓と人生観

九月九日(金曜日)、雨は降っていないものの、まったく朝日の見えない、どんよりとした曇り空の夜明けである。このぶんでは昼間にも、胸の透く秋空は望めそうにない。季節、端境期特有の残暑もなく、きのうの私は、寒気に震えていた。恐れていた台風11号は...
ひぐらしの記

掟(おきて)破り

九月八日(木曜日)、小雨模様の夜明けを迎えている。九月になって早や一週間が経つけれど、ちっとも秋らしくない天候が続いている。せっかくの好季節にあっては、至極残念無念である。しかし、自然界の営みゆえに、恨みつらみはない。恨みつらみは、人間界の...
ひぐらしの記

わが人生における最大難渋、それはデジタル社会

九月七日(水曜日)、いまだ夜明け前の暗闇である。目覚めたゆえに起き出している。文章を書く時間はたっぷりとある。ところが書けない。文章は心象風景が醸す描写である。気力充実、気分上昇のおりにはやたらと書ける。しかし、その逆のおりはまったく書けな...