ひぐらしの記 案外、私は「食通」なのか? 十一月二十日(日曜日)、夜明けまではまだ、行き着きないところにある。口内炎にともなう胃部不快、すなわち抱き合わせの不快感は、未だに極限状態にある。寝起きの私は、不意に美食家という、言葉を浮かべている。だから、これにともなって、三つの言葉を浮... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 人情、他人様から賜る情け 十一月十八日(土曜日)。寝床から抜け出して来て、パソコンを前にして椅子に座り、壁時計を横目で見遣った。時計の針は、四時あたりをさしている。夜明けの遅い仲冬の夜明けまでは、未だ夜の静寂(しじま)にある。それでも、きのうの「丑三つ時」の寝起きに... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 口内炎の夜 十一月十八日(金曜日)、口内炎の痛さに耐えきれず起き出してきた。夜明けまでは、はるかに遠い「丑三つ時」(午前二時から二時半頃)にある。こんな気分ではこの先、文章は書けない。それゆえにきょうは、起き立てに浮かんでいる、三つの創作川柳を記して、... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 生きてます 十一月十七日(木曜日)、夜明け間もないところで起き出している。ぐっすり眠れて、気分安らかにパソコンへ向かっている。寝起きの気分の安らぎは、二度寝に恵まれた「成果」である。長く、成果という言葉にはありつけず、それゆえ死語になるのを恐れて、へん... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 バカなことを書いている 十一月十六日(水曜日)、窓ガラスの外は未だ暗闇の、夜明け前に起き出している。起きて、心中にぼんやりと浮かべていたのは、こんなことである。一つは、またコロナが勢いを増している。怖いなあー。結局、罹らずには済まないのかもしれない。自分は罹らなく... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 トラブル マウスがまったく反応しない。それゆえ、マウスに頼らず指先を滑らしている。しかし、これでは不便きわまりなく、文章を書くことはできない。不断のかぎりない嘆息に、突然また一つ、嘆かわしい問題が加わっている。デジタル社会は、大嫌いだ。夜明けの空はこ... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 続いている「好天気」 十一月十四日(月曜日)、起きてパソコンを起ち上げ、しばし机上に両頬杖をついていた。頬杖を外し、ポコポコとキーを叩き始めている。片目で見遣る壁時計の針は、五時近くを回っている。夜明けが早い頃で晴れであれば、燦燦と朝日輝く夜明けにある。しかし仲... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 自然界の恵み 十一月十三日(日曜日)、未だ薄闇の夜明け前にある。闇は時を追って消え朝日が昇り、明るく夜が明ける。すると、わが気分もまた晴れる。もちろん、曇りや風雨のない晴れの夜明けの場合である。晩秋の「文化の日」(十一月三日)前あたりから、「立冬」(十一... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 「糧」と「絆」 十一月十二日(土曜日)、夜明け前というより、夜明けの遅い初冬の真夜中あたりに起き出している。二度寝を阻まれてきのうとは異なり、現在の私は、眠気眼と朦朧頭に加えて、憂鬱気分の三竦み状態にある。寝起きにあって冒頭より、いつもながらの愚痴こぼしの... ひぐらしの記前田静良
ひぐらしの記 夜明け前 十一月十一日(金曜日)、現在の時刻はきっかり午前四時です。それゆえ、前面の雨戸開けっぱなしの窓ガラスの外には、未だ夜明けの明かりはまったく見えません。この光景を強いて表現すれば、頭上の二輪の蛍光灯が真っ暗な窓ガラスに浮いて、音なく照り返って... ひぐらしの記前田静良