
坂本弘司撮影 先週訪れた実家の出来事で、今朝の前田さんの投稿で思い出したことがあったので、書き記しておくことにした。庭の柿の木が四本あるのだが、枝が伸びて手に負えなくて、馴染みの大工さんに昨年太い枝を思いきって切り落としてしまい、今年は実は諦めていたのだけれど、次郎柿の垂れ下がった枝の先に五個ばかり実が付いていた。前回訪れた時はまだ青かったのでそのままにして二週間ばかり経って今回訪れてみると、姿形が消えていた。「ああ、やられた!」と枝の先の地面を見ると、一口ほど遺した実が無惨にほったらかしにされていた。オレンジ色に色づいていた。腹立ちをぶつける相手の姿はなく、カラスの鳴き声が聞こえてきた。妹が「バカヤロウ!」と鳴き声の方に向かって叫んだ。 10月7日(月曜日)。ようやく中秋にふさわしく晴れて、のどかな朝が訪れている。このところの天候はまるで、好季節を忘れたかのように長く、愚図ついていた。わが身体は長く夏風邪を引きずり、この間のわが気分は、憂鬱(感)を極めていた。きのうの私は、雨上がりの乾いた道路を独り、3時間ほどかけて綺麗にした。いつもの倍ほどの時間がかかったのは、落ち葉の量の多さ、長雨の後の汚さなどに加えて、さらには普段はしない他人様の領域へ入り込みそのため余計、丁寧に仕上げたためだった。わが領域をしているうちに自然とそうしないと、わざと残していじわるでもしたかのように、気分が塞いでいたからである。起き出して傍らの窓際に立ち、窓ガラスに掛かるカーテンを開いて、見渡せるかぎりの道路を眺めた。ところどころに夜間の落ち葉はあるものの道路は、いまだきのうのわが掃除の後の綺麗さを留めていた。私を長く苦しめていた夏風邪は、きのうでぴたりと消えた。だからこの間、ほぼ夏風邪一辺倒のネタは、幸いにもきょうから書き止めとなる。ところが一方、この先はネタ切れには悩まされる。けれど、憂鬱気分は去って幸運である。ネタなく、こんなことを書き出している。千切らずに一つ残している柿の実は、先ほど眺めるとかなり明るんでいる。柿の実は、生ったままに放っておけばやがては熟柿になる。そして、晩秋の野の絵になる風景の王者となる。一つ残したのは、郷愁に駆られてこの風景を見るためであった。ところが私は、たった一つだけどきょう千切り、食べようかと思っている。わがお里の知れる浅ましさである。浅ましさの発露はこうである。残しても、かつてタイワンリスに齧られた悔しさがよみがえるからである。しょっちゅう、カラスも飛んでいる。山のメジロにつつかれるのはいいけれど、無邪気なメジロがあくどいこれらに適うはずはない。結局、これらに負けず先取りできるのは、わが浅ましさである。しかしながら私とて、その敢行には今なお迷い、苦しんでいる。朝日は秋天高い日本晴れを隈なく照らしている。ようやく胸の透く秋晴れの訪れにある。この文章を閉じれば、綺麗になっている道路にしばし佇み、未練がましくたった一つ残る柿の実を見上げるつもりである。生来、優柔不断の質(たち)の私だからその場で、どうするかの決断はつきそうにない。 投稿ありがとうございます。芙蓉の花の色の変化は見聞きして知っていましたが、こんなにはっきりとした変化は初めてです。本当に不思議ですね。先日乗ったタクシーの運転手さんが、彼岸花の別名を「豚まんじゅう」と教えてくれました。花の形が「豚まん」に似ているからでしょうか。それにしても似つかわしくない名前です。彼岸花の風情は、密集しているのもいいですが、数輪何気なく咲いているのも趣があります。細い線で形作られているのが見事ですよね。 白い彼岸花は、初めて見ました!! 前田さん、夏風邪が治って良かったですねーー*(^o^)/*\(^o^)/ 10月6日(日曜日)。買い替えた風邪薬はたった一度の服用で、副作用なく症状を止めました。うれしくて、繰り返します。夏風邪は治りました。ほぼ、夜明け頃の定時に目覚めています。ただ、起きることなく、二度寝をむさぼります。夜明けの様子は、雨、風、曇り、晴れ、いずれか、わかりません。 10月5日(土曜日)。起き出して来るや否や私は、傍らの窓ガラスを開けて、右腕を空中へ伸ばし、手の平を広くして振ってみた。雨粒が二つ当たった。私は直下の道路を凝視した。道路には隈なく落葉が散乱し、道路そして落葉共に、生々しく濡れている。就寝中は気づかなかったけれど、結構強い風雨の夜の証しである。しかし現在は、夜来の雨は今にも止みそうな小雨模様である。就寝中の私は、用無しの補聴器は両耳から外している。さらに、メガネや入れ歯も用無しのため、三つの器官補助器は外している。メガネや入れ歯はともかく、補聴器を外しているせいで、かなり強い雨・風だったようだが、知らぬが仏で寝入っていた。さて、私は自認する愚か者である。就寝前にあっては、まだ風邪薬を服んでいる。おとといまでの私は、「コルゲンコーワの鼻炎カプセル」を服んでいた。ところがこれが切れて、きのうの私は風邪薬を目当てに、買い物に出かけた。行き先は、普段のわが買い物の街「大船」(鎌倉市)である。いろんな買い物メモは後にして、私は真っ先に馴染みのドラッグストア「ダイコク」へ向かった。風邪薬と表記されているコーナーにしばし佇み、値段を比べかつ効きそうなものを目や手で漁った。入店前は迷うことなく、切れた従前の物をさっと手にするつもりだった。ところがその場にあって、長く迷ってしまった。挙句、購入を決め手にしてレジへ向かったのは、外箱に「エスタック総合感冒」と記された風邪薬だった。私は長年馴染んでいた風邪薬に、とうとうこの場で見切りをつけたのである。就寝前に、新たな風邪薬を服んだ。起きて、今なお効いたかどうかはわからない。効き目の確信には一つ、主訴あるいは副作用など構わず、こんな証しがある。確かなところではそれは、確かな副作用だが寝坊助を被るかどうかがある。ところが今朝の私は、寝坊助を被ることなくすんなりと起き出している。これを鑑みて現在の私は、効き目は副作用さえない風邪薬を買ってしまったのかと、案じるところにある。私は市販の風邪薬に頼り、夏風邪を拗(こじ)らせている。ゆえに現在の私は、後の祭りだが当住宅地にある掛かりの「S医院」へ、風邪の兆しのおりいち早く行くべきだったと自戒している。長引いている夏風邪に纏(まつ)わる、悔しいこれまでの顛末(てんまつ)である。これまでと区切りをつけた顛末ゆえに、本当の顛末はまだ先送りである。小雨は止んでまだ朝日は昇らないけれど、秋の空特有にのちには晴れるだろう。買い替えた風邪薬の著効、いやそれどころか効き目は、まったく感じていない。眠くはないけれど、鼻先がムズムズしている。
望月窯だより
「よしなさい。カラスは悪態をつくと仕返しをしてくるってお父さんがいつも私に言っていたわよ」
と、悔しさを押し秘めてたしなめた。
その時、頭上から枯れ枝が足元に落ちてきた。
「ほらね、カラスに聞こえたのよ」
「ほんとだ! 憎らしいこと」
二人で顔を見合わせて笑い合った。夏風邪治り、ネタ切れ文
古閑さんちのお庭
♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪
美しいです☆
酔芙蓉は、花色が”変化”するのですね!!
野球に限らず、日常生活でも仕事でもいつも通りのストレートよりも変化(球)が好きなぼくにとっては、酔芙蓉は”たいへん楽しい花”となっています♪♪◎前田さんへメッセージです◎
◎『エスタック総合感冒』◎に買い替えた前田さんの◎好判断◎でしたo(^-^)o
2回目のゆっくりお休みください(o^^o)文章は日曜日
夏風邪と逆らう風邪薬








