掲示板

坂本弘司撮影

選挙戦さ中の心境

10月21日(月曜日)。夜長の夜明けは未だ(5:26)、季節に違わぬ寒気が訪れている。きのうから一枚重ねた着衣の恩恵は無く、寝起きの私はブルブル震えている。もとより、季節どおりの寒気には抗えない。文章を書き終えたら、更なる防寒体制を整えるつもりである。洗面にあっては、気をひきしめて蛇口をひねった。ところが、思いがけなく温(ぬる)い水が出た。二、三日前の真夏並みの暖かさの名残であろう。怯(ひる)んでいた顔が緩んで、懐かしさをおぼえた。あしたからはこんな僥倖はありえないと、新たな覚悟をした。日本社会にあっては、今週末(10月27日・日曜日)には総選挙(衆議院)の投開票日がある。過ぎた10月15日には立候補者の公示日があり、この日から激しい選挙戦に入っている。そして、選挙戦の残り日はきょうを入れて6日である。ところがこれまでの私は、選挙(戦)はほぼ無縁状態で過ぎている。NHKテレビのある時間帯には、政権放送が流れている。しかしわが夫婦は、それに目を向けたり、聞き耳を立てることはなく、リモコンをオフにするか、チャンネルを変える。現在、わが家は新聞の購読は止めている。都会の僻地のせいと、それにともない住民が過疎化傾向を深めるせいで、票田にならないためなのか、未だに選挙カーがめぐって来ない。最寄りの「半増坊バス停」近くに置かれた立候補者の掲示板を私は、未だに見ないままである。公示日以降の私は、いつもの買い物の街・大船(鎌倉市)へ、買い物回りで二度ほど出かけている。ところがこのとき、街頭演説には出遭っていない。選挙公報や入場券はまだ届いていない。こんななか、一度だけ固定電話に誰かから、投票依頼の電話があったと言う。こんな表現をしたのには、そのとき受話器を手にしたのは妻だったからである。妻は私に受話器を手渡すことなく、ブツブツ言ながら受話器を元の電源(台)に置いた。選挙戦最中と知るのは、もっぱらテレビニュースとスマホ記事の閲覧すがりである。国政選挙におけるわが地方区は、鎌倉4区である。先日、私はスマホを手にして、4区の候補者調べをして、このとき立候補者は確認済である。現在、夫婦共に、投票所へ向かうつもりにはある。しかしながら一時は、その気さえ失せていた。国政選挙にあっても特に今回は、きわめて大切な選挙ゆえに、投票の棄権だけは避けるべきとは十分心得ている。生存84年にあって選挙権を得て以来、そののち妻と結婚して以降もまた、共に国政選挙において、たった一度さえの棄権の記憶はない。ところがこんどは、棄権しそうになっていた。私にかぎれば異常とも思える心境の様変わりだった。どうしてだろうか?…。思いつくのは余命を鑑みての、(もうどうでもいいや)、という投げやり的な諦めなのか。あるいは、醜聞まみれの政治(家)への信頼の欠如のせいなのか。挙句、今なおわが清き一票は、棄権あるいは候補者定めに揺れている。わが意中を察して妻は、「パパ。投票ぐらいには行きましょうよ」と、言う。それに応えて私は、こんなことを言った。「そうだね。二人ともたまには歩かないと、もう歩けなくなるね。おれは買い物のおりには、買いめぐりで5000歩ほどは歩くけど、おまえは歩くことはほとんどないね。歩かないと、もう歩けなくなるよ。よし行こう!」。投票行動を実践すれば、確かに夫婦の足慣らしになりそうである。わが家と町内会館(投票所)までの道のりは片道、病んだ妻の体では一時間近くかかりそうである。往復歩くことになるから妻だけでなく、引率同行の緩い足になるとはいえ私にも結構、足の鍛錬にはなる。今回は有権者という名が廃る、ヨレヨレの投票行動になりそうである。いや、投票日に雨でも降れば、棄権に落ち着きそうでもある。朝御飯の支度に急(せ)いて妻は、何度も危ない足取りで、私を呼びに階段を上ってきた。幸いきょうは、朝日輝く日本晴れにある。きょうもまた、実のない文章をだらだらと長く書いてしまって、かたじけなく思う、朝の訪れでもある。

古閑さんちのお庭

十月二十一日の今日は冬の寒さを思わせる気候です。とうとう冬がやってくるのですね。我が家の庭のキンモクセイの香りが冷たい空気と共に漂ってきます。あの猛暑は嘘のように、過ぎ去っていきましたが、時々まだ夏日のような気温が舞い戻ってきます。油断大敵というか、まだ暖かさが残っていて、体調を崩さないように用心しなければと身が引き締まります。
 古閑さんちのお庭は、まだ盛りを思わせるように花が咲き乱れているようですね。色鮮やかな花たちは、声は聞こえませんが話しかけてくれているようです。

♪大沢先生へ『私の畑』の感想です♪

望月窯の畑は大規模ですが、先生の御自宅のベランダ畑はコンパクトで、どちらも収穫が楽しめてなによりですね♪♪

♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪

今回の☆古閑さん庭園☆は、☆秋の名花☆といった感じで、気分が良いです♪♪♪♪♪

 庭の花

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 我が家の狭い庭の花も以前と比べ少なくなってきましたが、それでもまだまだ咲き誇っています。

夜明けの小嵐

単なる日付ではなく、もう10月20日(日曜日)かかと、書きたくなる夜明けが訪れている。肌身に酷く寒さをおぼえて置き出し、大慌てで厚地の布の長袖シャツを一枚重ねている。ところが、夜明けの寒さは季節狂いとは言えなく、いや季節相応にまっとうな寒さであろう。いくらか季節狂いと言えるのは、晩秋の夜明けにあっては滅多に見ない、小雨まじりの小嵐が吹き荒れていることである。翻ってこれこそ季節狂いと思えたのは、きのうの真夏並みの暑さだった。きのうの季節狂いの暑さのせいで、夜明けの寒気は季節どおりにもかかわらず、寒がり屋の私から季節狂いの「濡れ衣」をこうむっているのである。季節どおりの夜明けにすれば、とんだとばっちりを受けていると、目を剥いて歯がゆいかもしれない。実際のところこんなことはどうでもいいけれど、起きて痛感しているのは月・日のめぐりと、季節の移りの速さ(感)である。日常生活におけるその確かな証しは、これまで繰り返し書いているけれど、服用中の薬を一か月ごとにもらいに行く通院日の訪れの早さである。さてきのうはこれこそわが気狂いのごとく突然、いつもとは異なる文章を長々と書いた。私自身はいつも似たような文章に飽き足らず、ゆえに意図してネタを決めて書いたものである。だから、文章の出来不出来にかかわらず書き終えれば、愛(いと)しいものだった。しかしやはり、独り善がりの自己満足にすぎないものだったのかもしれない。だけど一方では、久しぶりにネタを拾って書いたことでは自己満足とはいえ、恥じることはない。なぜならきょうはネタなく呻吟し、もっとみっともない文章を書く羽目になっている。ゆえにここで恥じは書き止めである。楽屋話を記すと不断の私は、継続を断たないために常に、無理矢理パソコンを起ち上げている。挙句には体(てい)たらくの文章の羅列や繰り返しになる。だからきのうは、それを断つための試しの『番傘』でもあった。正直にこのことを吐露し、一方では詫びるところである。夜明けの小嵐は、季節どおりの本格的寒気の訪れのシグナルであろうか。寒気の訪れと歳月の速めぐり(感)、いよいよダブルの自然界現象(事象)をともなって、わが身に堪える季節の到来である。わが手のろのせいで、「時」は夜明けから朝へ変わっている。

私の畑

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 私のベランダの畑は今年もよく働いてくれた。10月20日の今朝は、おままごとのようなかわいい収穫があった。私の背丈よりも高く伸びたオクラには今もまだ花が咲いて実になっている。ピーマンは小さいけれど野菜としては役に立つ。ナスが一つなっていた。塩もみにしたら一人前の箸休めになる。どれも無農薬の野菜達だ。これで十分楽しめる。先日蒔いたシュンギクが芽を出していた。

番傘

私には文才がない。文才があればこれしきの文章に、三つ重ねの同義語すなわち呻吟、苦衷、苦悶を強いられることはない。人生の終末にあってまでつきまとう、わが能無しにはつくづく腹が立ち、かつまた残念無念である。私は二度寝にありつけないままに、長い時間寝床に寝そべっていた。それには絶えず輾転反側(てんてんはんそく)が付き纏(まと)い、そのたびに寝つけない苦しさが弥増(いやま)した。仕方なく二度寝は諦めて、ならばと覚悟を決めて、仰向けになり寝そべりを正した。すると、数々の「思い出」が浮かんだ。試しに思い出に変えて、「想起」を用いた。おのずから、よみがえる心象風景は異なった。思い出には懐かしさや愛(いと)おしさがつのり、いやこれらを超えてずばり、楽しかったことやうれしかったことなどがよみがえった。一方逆に、想起には悲しかったことやつらかったことなどが、これまたかぎりなく浮かんできた。心象には摩訶不思議なところがあり、一つの言葉の違いで、よみがえる風景は様変わる。私は寝そべりながら、一つの懐かしい思い出に耽っていた。子どもの頃のわが家には、今様の雨除けの布傘やビニール傘、さらには日除けのパラソルなどはなかった。わが家に常置していた傘は、手に重たい番傘一辺倒だった。番傘は茶色の太身(ふとみ)で、開ければバリバリと音がして、かすかに油のにおいを残していた。手に持つ長柄(ながえ)は、武骨な竹づくりだった。今思えば、油傘(あぶらがさ)と言ったほうが妥当なのかもかもしれない。なぜ? 番傘と言うのであろうか。机上に置く電子辞書を開いた。説明書きはこうである。「竹骨に紙を張り油をひいた、粗末な雨傘」。わが問いには答えのない、ぶっきらぼうの説明書きである。だからこの文章を閉じれば私は、インターネットの人様の知恵にすがり、「番」の由来を学ぶつもりつもりでいる。番傘は厚手の紙に塗りたくった油が、雨をはじくのであろうか。村中の富貴な家にあっては、上等で洒落た「蛇の目傘」があったかもしれないけれど、わが家にはそれはなかった。雨の日に自転車の片手ハンドルで、町の高校へ登校するときもまた、重たい番傘一辺倒だった。番傘につきまとう思い出は、このことこそイの一番である。すなわちそれは学童の頃にあって、突然の雨の降り出しに遭って、番傘につきまとう母の優しさである。番傘を持たずに登校した後で雨が降り出すと、廊下の隅にちらちらする母の姿が現れた。教室の中から後ろ向きに眺めると、母は声なく手にした番傘を音なく揺らした。それは(番傘を持ってきたよ)の合図で、置き場所はいつものところとわかっていた。ぼくが阿吽(あうん)の呼吸で母の姿を目に留めると、母は用を足して姿を消していた。わが家と学校の間は歩いて、片道二十分を超えるほどの道のりである。雨の降り出しに驚いて母は、速足で番傘を持って来たのである。突然降り出した雨の日に、廊下の隅に現れた母の姿は、今なお心中にしょっちゅうよみがえる佳い思い出である。言葉を想起に変えれば、これまたわが心中にしょっちゅうよみがえるのは、唯一の弟をわが「へま」で亡くしたおりの悲しい全光景である。こんな「思い出」と「想起」を抱き込んで、10月19日(土曜日)の朝が訪れている。大空は夜明けの雨模様を断って、満天日本晴れに変わっている。文才なく苦しんで書いた文章は、ようやく幼稚な作文を為して、終えたのである。題のつけようはなく、まだ浮かんでこない。こののち「番」の由来をネットの記事にすがるから、「番傘」でいいのかもしれない。

前田さんへメッセージです

前田さん、♪河口湖への行楽♪海外旅行の気分&桃源郷の楽園の愉しみとの御様子で、なによりでしたね♪♪♪♪♪
こちらは渋谷ネタですが(大笑)、多数の外国人の方々が、スクランブル交差点をはじめ周辺を体格よろしく我がモノ顔で闊歩されていますと、”多国籍軍”が日本国の渋谷を占領したかのように見えて、恐ろしさを感じる時があります↓↓

第50回衆議院議員総選挙についてですが、まったく前田さんのおっしゃる通りです!!
野党にも派閥は存在しますし、石破茂内閣総理大臣兼自由民主党総裁の”独自発言”は就任前に比べて、トーンダウンしています↓↓
やはり、議院内閣制は、立法(国会)・行政(内閣)・司法(裁判所)の三権分立が厳格に守られていませんし、立法と行政が癒着していると思います!!
内閣総理大臣は、地方自治体の都道府県知事や市区町村長のように、有権者による選挙(首相公選制)で選ばれるべきです!!
そのためには、日本国憲法を改正しなければなりませんが(苦笑)。

なにはさて置ききょうも前田さんへ☆大大大エール☆を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/