
坂本弘司撮影 ここ数日の☆『ひぐらしの記』☆は、☆前田節☆”大炸裂”で、たいへん嬉しく思います*(^o^)/**(^o^)/**(^o^)/* 10月26日(土曜日)。二度寝にありつけず目覚めて、仕方なく外気、真っ暗闇の中に起き出している。わが日常生活において安眠を貪り、最も心の安逸に恵まれていいはずの就寝は、今や修羅場と化している。ときには悪夢に魘され、常時頻尿を被り、これらのせいで二度寝にありつけない。ときたま寝坊助に恵まれるけれど、これとて起き立ての精神状態は正常ではない。なぜなら、文章の執筆時間にこころ急かされるからである。就寝がこれらに脅かされ、安眠が遠のくことは腹立たしく、またかぎりなく大損である。少しだけ益があるとすればそれは、二度寝にありつけず仕方なく起き出し、パソコンを起ち上げて、たっぷりとある時間で、キーを叩けることである。しかしながらそれとて、脳髄は空っぽのまま、さらには眠気眼(ねむけまなこ)との抱き合わせを被る始末である。眠いなら二度寝にありついていいはずだけれど、なぜかそれは叶わない。おそらく眠気に加えて、精神が錯乱状態になっているせいであろう。就寝さえままならなくなるようではもはや生存は、まぼろしか風前の灯火(ともしび)になりかけている。さて、あす(27日、日曜日)は、このたびの総選挙(衆議院)の投開票日である。私は病弱で足がノロマの妻を引率同行し、町内会館の投票所へ向かうことになる。一時は棄権も脳裏を過(よぎ)ったけれど、やはり大切な選挙(権)である。ゆえに二人とも、この権利を放棄することはできない。またこのたびの選挙は、総理そして内閣が新たに替わり、さらには二、三の政党の代表も新たになり、きわめて大事な選挙である。言うなれば日本の政治の新たな船出であり、やはり進んで投票所へ向かわなければならない。娘は現住する神奈川県横須賀市内のある投票所で、期日前投票に加えてあしたも、投開票(選挙)の世話係を務めると言う。だから、親が棄権でもすれば、娘の面汚しにもなる。選挙戦において各党が並べて、公約の一つに掲げているものには、「物価高の抑制」というものがある。確かにこの公約は、現下の日本社会における物価高を鑑みれば当を得て、どの党も喫緊に解決すべき課題であり、かつまた投票を呼び込むには即効性あるのテーマでもある。わが家の日常生活における買い物は、わが専一行動である。ゆえに私は、買い物のたびに様変わる物価高に遭遇し、酷く怯えている。目にする品々においては、まさしく日替わり弁当さながらに、そのたびに値段が高く変わっているものもある。一例を記すと、買い物行動のたびに必ずわが足の向く、「西友ストア大船店」(鎌倉市)の野菜フロアのトマトの値段の様変わりようである。中玉のトマトにすぎないのに現在は、一個299円となっている。最初はいくらだったか知らずじまいだが、目につき始めは一個99円、次には199円、そして今や299円である。ところがトマトの見た目は、逆にしだいにみすぼらしくさえなっている。あれれ、書き殴りの文章はまたもや長くなり始めている。きょうはまだたっぷりと時間がある。恥を晒し、尻切れトンボをも構わず、ここで結文にしないと、この先エンドレスになりそうである。西友ストアのトマトは買わず、素通りを続けている。だけど、トマトは夫婦共に好物ゆえに私は、ときには野菜と果物の安売り店「大船市場」で買っている。しかし、ここでもトマトの値段は高く様変わっている。そしてその姿は、中玉へはとどかず小玉、いや小ぶりにさえなりかけている。あすの開票結果はどうなるであろうか。やはり、今回にかぎらず選挙(権)は、私いや、日本国民にとってはすこぶる大事である。夜明けは曇り空、今にも雨が降りそうである。予報を見ていないあすの天気が、気になるところである。 夜明けの遅さは、日々加速度を増している。壁時計の針は、6時あたりをめぐっているのに、未だ夜の佇まいにある。私は、次のようなことを心中に浮かべながら起き出している。文章は格好のネタやテーマがあり、そのうえ語彙(力)が豊富であれば、六十(歳)の手習いにすぎない私でも、下手は下手なりにどうにか書けるものである。このことがわが文章書きの発端である。しかしながら、容易(ようい)に思えるこの二つを叶えることは、もとより容易(たやす)いことではない。あえて二つのことを比べれば私には、語彙の学習や習得より、ネタやテーマ探しのほうがはるかに容易く思えていた。ところがどっこい現在の私は、文章を書こうとすれば逆に、ネタやテーマ不足に苦衷を舐めている。語彙の学習においては定年を前にしていた頃の一時期、私は定年後の六十(歳)の手習いを鑑みて、国語辞典を愛読書にしたり、漢検一級の合格を果たした。今では当時学習した語彙の多くは、日々、忘却の彼方に晒されている。しかしまだいくらかの余燼(よじん)があり、狙いどおりの助け舟にさずかっている。するとやはり、私の場合、文章書きの決め手は、その都度のネタやテーマの有無に掛かっている。この克服には、進んでネタやテーマ探しの行動が肝要になる。端的に言えば、行動力すなわちあちこちへの取材行動である。いや、ネタやテーマ探しには行動に頼らずとも、椅子に座しての文物の調べや学習も極めて有効である。ところが残念無念、私の場合はどちらも怠り、日々起き立てに心中に浮かぶ事柄のいたずら書きに終始している。そしてここまで、その証しとも言える「当たるも八卦当たらぬも八卦」の、わが野暮天の幼稚な文章論を書いてしまった。ゆえに恥じて、自分自身に併せて、ご常連の人たちにたいし、平に詫びるものである。さて、衆議院の解散にともなう総選挙の選挙戦は、今週末(10月27日・日曜日)の投開票日に向けて、余すところはきょう(10月25日・金曜日)とあす(26日・土曜日)だけである。だから今さらになるけれど、この選挙戦におけるわが二つの思いを下記してみる。これまた、わが「当てずっぽう」のところ大ありで、外れであればこれまた、双方(私と人様)に伏して詫びるところである。先ずはこのことだけれど、すでに一度書いた記憶があり、重ねて詫びなければならない。各党総じて「政治改革」を選挙公約の筆頭に掲げて、NHKテレビが報ずる政見放送、あるいは街中や村はずれにいたるまで関係者は、すべからく声高に喋りまくっている。政治改革とは、端的には自分たちがしでかした罪を改めるということであり、これが総選挙の公約の第一義を為すことには、みずからの恥晒しであろう。一方、有権者にすれば「政治改革」を日々聞くことには、馬鹿げていてかぎりなくつらいことである。もとより、一票を得るために有権者に阿(おもね)り、訴えることこそ恥の上塗りであり、彼らの面汚しの最たるものである。政治改革を為せるのは政治家自身に限られるものであり、もとより有権者は改革の外にある。「政治改革を公約にするのはみっともないから、いや、不断の政治活動で各党そろって改めましょうよ」と言って、実践躬行すれば済むことである。もう一つ各党並べて公約に掲げているものには、「物価上昇を超える賃金の上昇」というものがある。確かにこちらのほうは、公約に異質はなく、私も異存ない。しかしながらこれとて、わが下種の勘繰りをすれば、しっくりこないところがあり、有権者が冷めて反発を買うところはある。端的に言えば現下の日本社会には、私もそうだけれど、賃金にありつけない層(人たち)が数多いる。現下の日本社会は、世に言う高齢化社会の現況にあり、一方ではパートタイム労働者(時間制限・非正規労働者)の多さもある。これらの人たちは必ずしも、賃金の上昇を享受できない。確かに、各党並べて「最低賃金を1500円あるいは1500円以上にします」という、公約を掲げてはいる。しかし、「物価上昇に見合う、あるいはそれ以上の賃金の上昇を目指します」の公約にはやはり、享受できる層が限られていて、大きな違和感をおぼえるところはある。たとえまやかしであってもずばり、「わが党は物価上昇を抑えます」のほうがすっきりする。なぜなら、公約のほとんどは、選挙戦においてのみ有権者に響きの良い、果たせないまやかしにすぎないからである。書き殴りの文章はまたもや長くなってしまった。尻切れトンボを恥じず、大慌てで結文とするものである。きょうの文章はきのうとは異なり、無題としても、捨ててもまったく惜しくはない。曇り空の朝は、昼間へ向かうにつれて、雨を降らしそうである。雨傘さして、雨合羽を着ての街頭演説には、あまねく悲壮感がただよいそうである。 10月24日(木曜日)。いまだ夜明け前にあって、外気は夜のたたずまいにある。夜明けの天気模様を知るのは、この先ちょっと後になる(5:35)。遣る瀬無さ、切なさ、情けなさの三つ巴の気分を、まるで自己慰安かつまた慰撫するかのような、二つの成語を心中に浮かべて起き出している。それは、「人間万事塞翁が馬」と「禍福は糾える縄の如し」である。これらに簡易な日常言葉を加えれば、「人生行路は茨道」、「人生行路は、夜明けて、日暮れて、悲喜交々である」。後段はこれまで聞き覚えがない、それもそのはず、わが出まかせの成句である。机上のカレンダーを眺めた。すると、きょうには「国連デー」の添え書きがある。だけど、(国連は何もしないなあ…、できないなあ…、世界は戦争ばかりだな…)と、嘆息が出た。現下の日本社会は、今週末(10月27日・日曜日)の投開票日に向かって、総選挙戦(衆議院)の最中にある。いや、もう最中は過ぎて選挙戦は、わずかに三日残しである。当落予想もおおかた出尽くし、立候補者は悲喜交々の時を迎えつつあるある。政界の選挙と比べることは野暮天だけれど、しかし悲喜交々の渦に晒されることにおいては相似たところがある。いや実際には選挙の当落より、悲しい運命(さだめ)めもある。現下のプロ野球界にあっては、戦々恐々とする戦力外追放(球団からの解雇・クビ)の嵐が吹き荒れ、ようやく収まったばかりである。楽しむファンを擁するプロ野球界とて、営利の企業経営の範疇にある。ゆえに、定員(人員)管理すなわち選手の入れ替えは必須である。働かない選手は要なしとなり、場合によっては何年もの人探し(スカウト)ののち、働きそうな選手を採用(入団)する。プロ野球界にあってきょうは、一年に一度すなわちことし(2024年)の「ドラフト会議(新人選択会議)」の当日である。ドラフト会議もまた、選挙の当落同様に悲喜交々の丸出しである。ところがこちらは、場合によっては公開のクジ引きで入団の可否が決まる。だから、選挙の当落を超える、確かな悲喜交々の上乗せである。身勝手に悲喜交々の差を鑑みれば、戦力外追放者は悲しさ一辺倒である。一方、喜べることではドラフト会議における入団OKの指名者が一番、次には選挙の当選者であろうか。なぜなら、選挙の落選者には長くて4年、短ければ半年のも満たない捲土重来の機会がある。ゆえに、悲しさに惨めさが付き纏うことは寸時(制限時間付き)で免れる。翻って世の中には、悲しさだけの人がいっぱいである。選挙は当落をもてあそぶ、雲の上の人たち(もとより幸福者)の晴れ舞台なのかもしれない。なんだか、寝ぼけの難しい文章をまたもや、意味なく長々と書いてしまった。疲れてもう懲り懲りだけれど、あすは短い文章できょうのリベンジ(復讐)を心掛けたいものである。しかし、私には文章は難しく、もうやめたい気分も旺盛である。久しぶりに晩秋の朝は、胸の透く秋晴れと日本晴れのコラボ(協奏)にある。朝御飯が迫り書き殴りのままで、読み返し(推敲)無しで文章を閉じる。ミスに気が留めている。 昨日の「ひぐらしの記」は、とうとう前田さん、筆を折って仕舞われたのか、と一撃食らったような気持ちになりました。「もうダメだ」と書かれる度に、「そんなことはない」と私は自分に言い聞かせてきました。でも今度だけは、本当なのかと心が重苦しくなりました。そして文章をよくよく睨んで、長文は書かないとも読み取れました。だから今朝のひぐらしの記に出会ってホッと胸をなで下ろしました。 10月23日(水曜日)。きょうの天気は雨の予報です。予報に違わず今にも雨が降り出しそうな、どんよりとした曇天の夜明けです。あれれ! と、思われる人がおられるかもしれない思いこの先、訂正文を書こうと決めています。なぜならきのうの文章は、書き終えてみずから再読を試みると、すぐに詫びなければという心境に陥りました。それは長い文章が掲示板を汚し、そのうえ読んでくださる人があれば、気分を損ねたであろうという思いが溢れたからです。この思いがつのり、詫び心とそのときの心境を露わにした文章を再記すればこうです。そして一つは、「心よりお詫びいたします」。重ねて一つはこれです。「書き殴りの長い文章は懲り懲り、もう書きません」。もとより、「もう書きません」の主語(主因)は、書き殴りの懲り懲りの長い文章であり、文章のすべてに掛かるものではありません。わずかにたった一行の文章にすぎないのに言葉に替えればで舌足らず、文章ではずばり下手でわが意が伝わらず、誤解を生んでいるのではと危惧しています。だから、恥を晒してでも、この文章を書いています。私は大沢さまに感謝の気持ちも表わさず、かつまたご常連の人たちにたいし御礼の言葉も記さず、ただ「ぶっきらぼう」に「もう書きません」と書いて、文章を止めることなどするはずもありません。ただただ自分自身、書き殴りの長文に懲りて、併せてご好意の人たちにご迷惑をかけたことにたいし、「もう書きません」の心境をさらけ出したのです。あえてこのことを記してきょうは、尻切れトンボながらきのうに比べれば短い文章で閉じます。本当に「もう書きません」と記すときには、これまでの皆様のご恩に感謝し、ひれ伏して御礼の謝意をかぎりなく記します。高橋弘樹様のエールにはいつも、迷えるわが心の支えになっています。心して、篤く御礼を申し上げます。曇天はいくらか明るんできています。わが心はとうに日本晴れです。もちろん、皆様のおかげです。 ぼくには、毎日の前田さんの☆『ひぐらしの記』☆は、書き殴りの長い文章には、見えませんよーー!! 書き殴りの長い文章は懲り懲り、もう書きません。 10月22日(火曜日)。雨なく風もなくのどかに晴れた夜明けが訪れている。きのうはわが意に背いて、書き殴りでエンドレスになりそうな長い文章を書いた。そのせいで自分自身は疲れ、さらにはご常連の人たちの読み飽きと疲れを慮り、心中で詫びている。そのためきょうは、心して短い文章を心掛けている。いつもとは違って幸いにもきょうは、書かなければならないネタが二つもある。それはずばり、お二人様から思いがけなくさずかった驚嘆すべき「善意」である。きのうは久しぶりに妻を連れ合って外出行動をした。先ずは、当住宅地内にある不断掛かりつけのS医院へ通院である。二人一緒に診察室に入り、妻を先に順番に診察を受けた。普段の診察と併せて、共にそれぞれが現在服用中の一か月ごとの薬剤の処方箋をもらった。その場の飛び入りの処置には、インフルエンザの予防注射を所望し、快く打っていただいた。新型コロナウイルス感染予防のためのワクチン注射の諾否の相談もあったけれど、こちらはその実行の可否を次回以降に先延ばしにした。診察以外では先生が横浜ベイスターズファンであることを知っていたため、私からそれにかかわる話題を持ち出した。時あたかもクライマックスシリーズにおけるベイスターズの活躍ぶりに合わせて、会話は愉快に沸騰した。医院を後にすると、最寄りの「北鎌倉台バス停」で、巡って来た「大船行きバス」に乗車した。大船(鎌倉市)は、私たちの不断の買い物の街である。ところが、わが家の買い物はもう長く、私の専一行動となっている。決まって大船へ妻を連れ合うのは主に、妻の「髪カット」のおりの引率同行くらいである。しかし、この日の妻は、わが買い物への手助け同行を進言した。もとより私は,病弱の妻へ買い物袋を持たせるつもりはないし、それは妻も承知の助でもある。だけどやはり、妻をともなう買い物は、品物選びに大助かりのところがある。なぜなら、妻の好み、妻が手にした物を籠に入れさえすればいいという気楽さがある。いつものわれひとりの買い物で帰宅のおりには、ときたま妻の不満に出遭うこともある。だけどきょうは、それがないからである。買い物回りの最初の店は、わがいつもの巡回コースどおりに野菜と果物の安売り店「大船市場」だった。妻が手にとった数々の品物を私は、無造作に籠に入れていった。しばし並んで勝手知ったレジへ向かった。レジには横並びあるいは並びきれずに飛び飛びに、いつも10人ほどの人たち、中年あるいは高年の女性たちが立ち並んでいる。彼女たちは時間制のパート働きのようであり、店の経営者はその倍数の人たちを雇っているようである。男性はレジには立たず、裏方作業にのみ徹している。男性のほうは、おおむね高年を超えてなお高齢者ばかりである。私は買い物を愉しむためにレジ係の女性と無言でお金を払うこと避けている。店は混雑きわまりないので長い立話は慎み、挨拶と御礼の言葉かけにすぎない。そしてこれまで、5人ほどの人と顔見知りになっている。「次の人、どうぞ」の掛け声に釣られて、私と妻はレジへ向かった。幸いにも普段馴染みの人の声だった。いつものように愛想よく籠から手にとり、レジ打ち始められた。ナスを手にとり、一瞬「これ、もっと良いものを探してきますね」と言われて、遠いナスの売り場へ小走りされた。しばらくして、ナスを持ってレジに戻られた。「こちらがいいですから、これに替えますね」。もちろん、同じ値段のナスである。どこかに傷みかけがあったのかもしれない。私たちは二人して、素早い行動とその優しさに感銘し、何度も感謝とお礼を述べた。バカな私は、こんなことまで言った。「私は、不断からあなたのファンになっていて、良かったです」。相対した人は、笑顔で応じてくださった。並んでいる買い物客は、「次の人、どうぞ」と、呼ばれると急いでその人のところへ向かった。籠を台に置いて、無言でお金を支払っていた。きのうはここの店で買い物がいっぱいになり、いやここだけで私は、ほかの店の買い物を持つには耐えなくなっていた。なぜなら私は、背中には大きな買い物用のリュック、両手には普段の二つの持参の買い物袋、さらにレジで買った一つのレジ袋を加えて、三つの買い物袋を手提げした。ヨロヨロの足取りで、次の「鈴木水産」そして「総菜屋」へ立ち寄った。ここでの買い物は自分では持てず、重さ加減を手にとり、妻が持ってくれた。「きょうはタクシーで帰ろう。重くて、バスは無理だよ」「そうね。パパも腰が痛いんでしょ…」二人は50メートルほど歩いて、待機中のタクシーへ、二人の体とリュック、四つに増えていた買い物袋をソファにようやっと沈めた。タクシーがわが家の門口へ停まると、ここでまた予期しないことが起きたのである。それは、運転士の善意だった。運転士はすぐさま運転席から離れて、後部座席の一方のドアを開いて、私たちの降車を手伝ってくださったのである。私たちは何度も腰を折り、お礼の言葉を繰り返した。メーターは2300円を示しており、私は車内で「札と硬貨」で、ちょうどの金額を支払った。少し金額を上乗せすべきだったかな? と、私はあとで後悔した。きのうは思いがけなくお二人様の善意に遭遇し、私たちには夢を見ているような心地良い一日だった。書き殴りを続けていたら、最長の文章になってしまった。こんな文章は見ただけで、読んでくださる人はいないだろう。ところが、私にはきのうのような書き疲れはない。掲示板を汚すため、投稿ボタンを押すかどうかを迷っている。短く書くつもりに背いて、詫びる心は横溢である。ところがわが心は晴れて、大空もまた秋晴れに向かいつつある。 大沢さん花の写真の感想有難うございます。我が家の庭にはキンモクセイはありませんがどこからとなくキンモクセイ良い香りがしていました。それにしても暑かった夏が嘘のように寒くなってきました。大沢さん、高橋さんどうぞお身体には十分気を付けてお過ごしください。
☆前田さんへメッセージです☆
しかも、本日は、”エンドレスになりそうな”とのことで、またもや嬉しくなりました\(^o^)/
明日の天気予報は、晴のち雨(最高気温24℃ ・最低気温18℃)で、降水確率は、0:00〜18:00 20%・18:00〜24:00 70%で、夜の時間帯から確率が高くなりますが、投票にお出かけになることには、影響は無さそうですね(^^)(^^)選挙戦の結末と、気になる物価高
きょうの文章は無題でも、書き捨てでも、惜しくない
欲張りだから、無題では惜しい気もするけれど…
思わず胸をなで下ろしました。
元気づけ、励まして下さる高橋弘樹さんも私の思いに同感で、投稿して下さったのでしょう。
みな、「ひぐらしの記」を待っているのですよ、前田さん。文章自体はまだ書きます
☆前田静良氏☆は☆文才有り有り有りの方☆です!!
☆前田さんの個性溢れる文章☆は、たいへん素晴しいのですが、前田さん御自身は短所と思われていて、☆長所である☆事に気が付いていらっしゃいません!!
「隣の芝生は青い」ということわざがありますが、もし、前田さんが他人様の文章と御自身の文章を比較して、御自分を痛烈に批判されているのでしたら、それはお止めになるべきだと思います。
☆前田さんの文章のスタイル☆=☆前田文学☆は、すでに確立されていますので、他人様を気にする事なく、今一度、前田さんが長年積み上げてきた執筆経験や文章技術を見つめ直して納得され、御自身の文章スタイルを中心に置いて、自己肯定感を高め、さらなる☆『ひぐらしの記』☆御発展に繋げていただきたい、と思っております☆☆☆☆☆☆☆
きょうも前田さんへ☆大大大エール☆を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/心よりお詫びいたします
お二人様の善意
ありがとうございます。