オオニソガラム 高橋恵美子撮影 前田さん、☆『ひぐらしの記92集 華の親子道中』☆の御出版、本当におめでとうございます㊗︎㊗︎ 大沢先生、御褒めの御言葉をたくさんいただいて、どうもありがとうございます。 古閑さん、清々しい夏の花々をありがとうございます。今回は比較的背だけのある花たちで、その中にたたずんでみたい気持ちになりました。朝のひととき、私は古閑さんちのお庭に飛んでいき花たちと戯れているような気分になっています。 6月8日(土曜日)。日本の国の鎌倉地方の朝は、気象庁の梅雨入り宣言前にあって、穏やかな夜明けにある。こんな突拍子の書き出しをしたのは、木村様にたいするちょっぴりのお礼返しである。私は常にふるさと慕情に駆られている。ところが木村様の場合は、日本の国を故郷と思うほどの広大かつ高邁な慕情であろうか。異国・大陸・中国(江西省南昌市)に、教師として赴任中の木村様から、当国の官製絵葉書を戴いた。お葉書を戴くたびに私は、切手や絵葉書の異国風景を凝視し、そして未知の国への情緒をつのらせている。感謝感激である。きのうの書いた文章には、お二人様からメッセージを賜った。大沢さまの場合は、わが夫婦の現在の生き様にたいする「いたわり」のメッセージだった。メッセージを読み終えると、萎えていた心に沸々と勇気が涌き出た。御礼は、これまた感謝感激である。高橋弘樹様の場合は、いつものエールに加えてきのうは、ご自身の体験を踏まえて、ありがたいアドバイス付きの文字どおりの応援メッセージだった。またまた、感謝感激である。御礼の心には、グダグダと多言は無用である。ゆえに、お三方のメッセージに合わせて、一行だけの御礼の意思を伝えるものである。もちろん「ひぐらしの記」は、常に掲示板上の声なき声の励ましにも支えられている。だからこの文章は、総じて「ひぐらしの記」が取り持つご縁として、感謝感激の一文を書いたものである。高齢を生きるわが支えは、「ひぐらしの記」からさずかる、人様のご厚情一辺倒である。日々、感謝感激尽きることはない。文尾にあたり、木村様の絵葉書の一文を無断で借りることをお許し願えば、こう書かれている。「当地は梅雨が終わり、すっかり夏の陽気です」。浅薄なわが知識は、中国にも「梅雨」があることさえ知らなかったのである。日本の国の鎌倉地方は、まもなく梅雨入りである。鬱陶しい梅雨をしばし遠のけるかのように、制限時間付きの朝日がキラキラと輝いている。 チドリソウもタチアオイもそのほかの花々も素晴しいです♪♪♪♪♪♪ 前田さん、奥様の美容室への引率同行、たいへんお疲れさまでございました。 ぼくの母は、身体障害者で、車椅子使用をメインに、1本杖で自力歩行も可能でした。 前田さん、大沢先生がおっしゃるようにいつまでも奥様をいたわり、”前田さんだけにしか書けない『ひぐらしの記』”をこれからもお書きになってください☆☆ ナス、ピーマンは大きくシソと全部新鮮で美味そうですね。
㊗︎☆前田静良氏☆☆『ひぐらしの記92集 華の親子道中』☆御出版!!㊗︎
心よりお祝い申し上げます☆☆
今回の表紙絵は、西武線の車両とあじさいの花でしょうか? 素晴しいです☆☆
☆『ひぐらしの記100集』☆まで目前となりました☆☆
さらなる御活躍を祈っております☆×100☆♪大沢先生へメッセージです♪
父からは、「介護福祉士の資格を取得して、介護の仕事をしてみては?」という話もあったのですが、自分の母だからこそ介護ができる事であって、人様の介護は到底できる事ではないです、と伝えた記憶があります。
今となっては、全国の介護福祉士の方々や看護師の皆様を応援するような事ができないかなあ、と思っているところです(^^)(^^)感謝です
高橋さん、お母さんの介護の状況は時々話されていたので知っていましたが、今回の投稿は、高橋さんのお母さんに寄り添う心を知りました。早くから車椅子で行けるお店の重要性に気付かれていたのですね。そして何よりもお母さんの思いをくみ取って介護をされていたのですね。在宅介護など色々と話しておられた日々が思い出されます。お母さんも高橋さんに大切に看病してもらい、幸せでしたね。何時伺ってもお母さんの介護のこと胸がいっぱいになります。高橋さんの優しさが溢れています。「ひぐらしの記」が取り持つ縁、ご厚情に感謝感激
♪古閑さんへ『庭の花』の感想です♪
タチアオイの花を見て、同じアオイ科のハイビスカスを買おうかな、と思ったところです(^^)♪前田さんへメッセージです♪
奥様は、自分の力でお歩きになられてなによりですね♪
北浦和へ引っ越してきてから4か月目位から鬱病を発症してしまいました。
身体障害者がリハビリ病院への入院は別として、普通の病院へ入院した場合、寝たきりにされて身体機能が衰えてしまう事は事前にわかっていました!! なんとか在宅介護での快復を模索していましたが、弟と話し合い、母と離婚した父とも話し合って、母の健康を第1に考えて、入院してもらう苦渋の決断をしました。
退院後はやはり、自力歩行困難となってしまい、母はなにか言ったり、言う素振りを見せたりしませんでしたが(母は失語症でもあったため、思うように話せない状態でした。)、介護者としてぼくは、非常に悲しい思いをしました↓↓
食事面は、母は寿司が大好きでしたので、「和食処とんでん」を利用していました。
ここは、早くから(平成10年代はどうだったか記憶がありませんが、平成20年代には車椅子利用OKとなっていました(^^))どこの店へ行っても車椅子利用を可能にしていて、入り口前のスロープ設置や店内通路のスペースを広く取ったり、車椅子用のトイレもあり、非常に便利でした*(^o^)/*\(^o^)/
今回も前田さんへ”大大大エール”を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/ 美味そう
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