坂本弘司撮影 冬至を初めて意識した今朝、あらためて「冬至とは?」と、ネットで調べてみた。この日以降、徐々に日が長くなっていくことから、運気上昇、無病息災などを願って冬至を祝う風習が世界各国で見られますとあった。先日、妹との会話で「冬至が早く来ないかな」と私が言うと、妹が「どうして?」と聞いてきた。「昼の長さがだんだん長くなり、春が近くなるのよ」 と答えると、「これから本格的な冬が来るのよ。冬に至るって書くんだからね」とすかさず答えた。私はなんだか腑に落ちなかったけれど、言い返すことはしなかった。 互いに老いて、ふうちゃんは身体の病に苦しみ、そして私(しいちゃん)は、精神の傷病(マイナス思考)に苦しんでいる。どちらに手に負えない痛みや苦しみがあるかと言えば、たぶんどっちもどっちであろう。終末人生のもたらす「成れの果(はて)」と思えば、共に腹を立ててもしようがないね。確かにふうちゃんは、まるで「モグラ叩き」さながらにピョコピョコと顕れる病を、彼独特の機知に富んだ表現で打ち負かしている。一方、しいちゃんはそんな才に恵まれず、明けても暮れても愚痴を垂れている。挙句、私は器の違い(小)を曝け出している。だけど私は、才能や器の負けには嘆いていない。すなわちそれは、「竹馬の友」という、名フレーズ(成句)が醸す心地良さに救われているためである。実際には竹馬に乗って、共に遊んだ記憶はない。バカだなあー、成句とはそんな有無など、どうでもいいことである。台無しのことまで書いてしまい、私はつくづく愚か者である。序章はここで打ち切りにして、さてきょうは、夜長の最長を為す「冬至」(12月21日(土曜日)である。時のめぐりの速さ(感)には、もとより諦念せずにはおれないものがある。だけど、冬至がめぐり来るとそのぶん、短い余生をいっそう削られる思いにとらわれて、痛恨きわまりないものがある。これまたどう鯱(しゃちほこ)だって嘆いても、どうなることでもない。それでも嘆きたくなるのは、これまたわが小器の証しである。冬至をあすにひかえたきのうのわが家(老夫婦)は、こんな行動をしでかした。それは冬至特有の「ユズ湯」の態勢かためだった。わが家のほったらかしのみすぼらしい柚子の木には、なぜかことしは史上最高と言えるほどにたくさんの実をつけた。きのうの私はそれらの実をもぎ取り、妻はそれらを配り歩く役割に徹したのである。妻は隣近所の6軒をヨタ足で歩いて、5個ずつを配った。どうでもいい行為だけれど、私たちはユズの実に冬至の役割を担わせたのである。確かにこれを終えると、人様のありがた迷惑気分など知ったこっちゃなく、わが夫婦にはきょうの冬至の実感が弥増していたのである。冬至の夜明けは、満天は日本晴れ、空間および地上にはくまなく、朝日がキラキラと光っている。自然界の恵みにあって、わが満腔(まんこう)には幸せがあふれている。ふうちゃん、まだ、共に頑張ろうね。 ふうたろうさん、本当にお久しぶりの投稿ですね。いろいろと病名が飛び出しました。辣腕刑事だったふうたろうさんでも、かなわぬものがあるのですね。そこのところが救いです。凄腕ばかりでは私のような弱虫はおそばにも寄れませんから。去年のふうたろうさんのお花見の画像を思い出して、ほっこりしています。日だまりの福寿草の花のように、寒さに耐えている私です。 しぃちゃんよ! 「現役時代、辣腕刑事と名を馳せた」は、言い過ぎだよ。何もしない、無能刑事で終わり、今は、歯槽膿漏で奥歯抜き、首の脂肪が大きくなり、手術をする等々で、お国に大変迷惑をかけている老人になってしまいました。それでも、不平たらたら暮らしてます。 12月20日(金曜日)。起き立てにあってまずは、洗面の水の冷たさに身を縮めている。次には、ネタ探しに心を痛めている。しかし、こんなことばかりでは、わが身は保てない。だから、気持ちの和むことを浮かべている。イの一番に浮かぶものでは、スラスラと文章を紡がれる大沢さまへの憧れである。大沢さまは天賦の才と、ご両親からさずかる才能、さらには自ら育てた知能に恵まれてご幸福である。せっかくの気分の和みに逆行するけれど、わがしがない性(さが)ゆえに、やはり書かずにおれない。起き立てにあっての私は、二強との戦いを強いられて、抗戦いや防戦の最中にある。一つは、わが心中に蠢(うごめ)く「弱虫」との戦いである。弱虫とは私自身が蔑(さげす)んで名付けたものだけれど、実際には手に負えない強敵である。こちらは、精神的戦いである。そして一つは、寒気との戦いである。こちらは、身体的戦いである。こちらも防戦とはいえ、人工の手立て(武器)にすがり防ぎようはある。防ぎようのないのは、「弱虫」の腹を決めた大胆不敵の心中における居座りである。それゆえにこちらは、おのずから持久戦になりそうである。ようやくネタとは言えない、心寂しい世相の一端が浮かんでいる。これまで「治安の良い国」という美称や美徳をさずかってきた日本の国は、このところ一気に奈落の底へ落ち始めている。制限時間のあるNHKテレビニュースは、もはや時間内では伝えきれないほどに、事件の多発状態にある。ニュース項目一覧の中に並ぶものは、厄介な事件ばかりである。所かまわぬ広範囲の闇バイトと詐欺事件、北九州市における中学生男女の殺傷事件、さらには千葉県における奇怪な事件などが連発で伝えられている。もはや、命短い私がこれらを危惧して、心を痛めことには、確かに大損のところはある。しかしながら老い先短いゆえに、かつまた84年も日本の国に住んできていることから、やはり事件の多さには気懸りと気分の滅入りが生じている。挙句、事件の多さの原因や誘因は何であろうかと、なけなしの脳髄をひねっている。けれど、自分自身に分かるはずはない。だから、現役時代にあって辣腕刑事と名を馳せた、竹馬の友・ふうちゃん(ペンネーム・ふうたろうさん,大阪府枚方市在住)を浮かべている。再起途上の文章は、ようやく書けただけでもいいだろう。それゆえ尻切れとんぼのままに、ここでおしまいである。年の瀬は十日余を残すのみである。新たな事件は、真っ平御免蒙りたいものである。大沢さまのお言葉を借りると、夜明けごろの寒さは日中になれば、汗を拭うほどに暖かくなるだろう。手に負えないのはわが心中における弱虫の蠢きと、日本社会における悪党の横行跋扈である。 ふるさとから、「今朝は初雪です」と便りがありました。 このところの陽気は気狂いの感があります。朝は真冬でも、昼間は陽が照れば買い物がてらの散歩はコートを着ていればちょっと汗ばむような感じです。前田さんに変わって、自然界が気狂いしているのでしょうか。 12月19日(木曜日)。体温は平熱の36度前後で変わらないけれど、身体気温は緩んでいる。天界がさずけるご褒美と思いたいけれど、しかしそれをさずかる物種(美徳)はまったく無い。いや実際には天界からお叱りを受けそうな、このところのわが体(てい)たらくぶりである。(もう書くまい、もう書けない)という、心中の「弱虫」の跋扈(ばっこ)をこうむり、文章は三日間頓挫した。(これではまずい)と、四日めには一念発起し、弱虫退治を敢行した。ところが、いまだ退治しきれずに、現在は弱虫の逆襲のさ中にある。普段、「虫けら」と蔑(さげす)む、弱虫の抗戦力に敗けそうである。もう、文章の質(出来不出来)は問わない。なりふり構わず、何でもいいから書かなければならない。(なさけない)、わが現在の心境である。この文章はその証しである。机上の電子辞書を開いた。「克己:おのれにかつこと」。私は弱虫にも、自分にも負けている。夜明けはいまだ遠く、太陽の恵みにはありつけず、しかたなく指先をキーボードから離して、再び床へ就く。寝床で、再起動の機運を温めるつもりにある。頼りない、わが決意である。老いること、とりわけそれによる心情の萎(な)えは、人間につきまとう哀しい性(さが)であろう。いや、(自分だけかなー…)と、嘆息するところにある。幸いにもきのう同様に、気狂いの自覚(症状)はない。だから、駄文を綴りながら平常心、通常の文章への復活を願っている。わが身勝手を、平に詫びるところである。時や季節は、わが心中などつゆ知らず、坦々と流れてゆく。それに逆らう私は、愚か者である。 (もう書くまい、書けない)と、決めていた心を励まし、そろり書いている。きのうの昼間、道路に吹き晒された枯れた落ち葉を掃き清めた。このとき、こう思った。(枯れ葉や落ち葉のように、生きる屍になるのは、いやだな)。きようは、これだけ書けば御の字だ。気狂いの自覚はなく、再起できそうである。 《朝有名進学校 埼玉県立浦和高等学校の正門扉深夜でも全開!!》
年をとったんだなあ~
「冬に至る」というのは何だか後ろ向きな感じがする。「昼の長さがだんだん長くなり、春が近づく」という方が前向きな感じがする。考え方の違いなのかな。冬至
久しぶりの「ふうたろう節」
時代は変わりました。
再起途上の文章は、ヨタヨタ
気温の緩みは勘違い
早く春が来ないかな~
ネタ無し、モチベーションの低下などと、もがいておられる前田さんにおねだり。「頑張らず、人間らしい弱みを見せてください。読者はそれを待っています。みんな一緒気分になれるからです」。立派な人も励みになるけれど、泣き言を言ってくれる人にも共感! みんな弱虫なのです。でもなかなか泣き言が言えません。春になったら、元気が湧いてくるでしょう。それまで、蓑でも被って隠れていましょう。私は愚か者
夜明けはるかに遠い、寝床で
♪HIROKIのタレント日記♪
我が自宅マンションの近くに、県立浦和高校(男子校)があるのですが画像の通り、深夜でも正門扉が全開です!!
撮影日時は1/16(月)未明1:06です。
毎回、深夜に通りかかるとこのような状態で、長期間です!!
地元では☆天下の浦和高校☆となっておりますし、ぼくの父が埼玉県の職員時代には、学校事務として同校に勤務していました。
不用心極まりないので、父にLINEして画像とともに「今度から通りかかったら、扉を閉めようと思います。」とのメッセージを送りました。
父からは「うーむ。それはやめておいた方が良い。昔からあまり閉めて無かった気がする。警備は回っているはずだから… 余計な事をすると逆に疑われるからね。」という返事がありましたが、父の忠告に従う事にしました。
余談ですが、浦高生で、芸能事務所へスカウトできそうな☆イケメン男子☆はいないかな?? と北浦和に引っ越して来た時から、長年様子を伺っていますが、どうもいませんね〜〜(大笑)。
といっても外見だけではわからないところもありますが(笑)。
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