坂本弘司撮影 1月4日(土曜日)。目覚めて起き出して来て、寒さでブルブル震えている。きょうは書く気分を殺がれていたけれど、身勝手にもこのことだけを記録として、留めて置くためにパソコンを起ち上げている。現在のデジタル時刻は、4:43と刻まれている。わが毎年の正月三が日の行事は、「箱根駅伝」の往路(2日)・復路(3日)のテレビ観戦である。ことしは、第101回大会だった。もちろん両日、私はテレビの前に放映開始から終了まで陣取った。母校・中央大学の成績は、往路には留飲を下げ、復路には喉や胸につかえた。すなわち、往路2位、復路13位、総合(往復)5位だった。ちなみに、昨年は総合12位である。ことしの優勝は青山学院大学であり、2位は駒澤大学、3位は國學院大學、4位は早稲田大学だった。青山学院大学は、昨年に続いて見事連覇達成である。年初早々、来年のことを書けば鬼に笑われる。けれど、バカな私は、書かずにおれない。なぜなら、来年は予想される陣容からすれば、母校が優勝しそうである。ところが、これまた予想されることでは、来年の第102大会まではわが存命が危ぶまれることである。だったら、記録に留めることなど、不要なのかもしれない。いまだ夜の静寂(しじま)にあり、ここで文章を閉じて、寝床へとんぼ返りを決め込んでいる。しかし、二度寝にありつける保証はなく、いやたぶん、復路の成績が悔しくて、悶々を続けるであろう。もう正月は四日目である。現在のデジタル時刻は、起き出しの定時(5時)と決めているところから、7分ほど過ぎている。 令和7年(2025年)、1月3日(金曜日)。ボケ老人にあっては、年変わりを間違えないようにしなければならない。だから、机上カレンダーを確かめて、日取りを書いた。覆われていたラップをバリバリ引き裂いて、ことしの机上カレンダーは、いま初めての使用である。机上カレンダーは、文字どおりわが日暮らしの手近な盟友である。こんなにも有用で大切なものなのに私は、毎年100円ショップで買っている。しかしながらそれはケチのせいではなく、机上のノートパソコンの傍らに置いて、一目瞭然の役割を果たしてくれるからである。実際のところでは、年々忘れゆく日本社会における「歳時(記)や行事」の併記にあずかっている。きのうは、併記されていた「書き初め」にちなんで一文を書いた。きょう3日には無印だけれど、1月には年初特有に様々な行事が羅列している。きょうは正月三が日の最終日である。元日そしてきのうには、日本社会に大きな災害は無い。私は、三が日が無事に過ぎることを願っている。しかし、気が咎めるのはやはり、「能登半島地震」(昨年の元日に発生)における被災者の遣る瀬無さである。きのうの私は、ひねもす茶の間のソファに背もたれて、「箱根駅伝・往路」のテレビ観戦に興じていた。そしてきょうは、その復路のテレビ観戦に茶の間で陣取る。かつての私は、母校・中央大学の幟旗を翳して、沿道応援に駆けつけていた。ところが、仲間(年上の相方)が亡くなられた以降は、沿道応援は沙汰止みになっている。ソファに背もたれていた私は、箱根駅伝のテレビ観戦の合間には、窓ガラスを通してこれまた正月風景を愉しんでいた。それは、鎌倉市街に位置する「鶴岡八幡宮」への初詣の人たちの往来風景だった。わが家近くの登り口を上れば、「円海山・山系」に一筋の「天園ハイキングコース」ある。それを市街に向けて下れば、山中道を踏んで「鶴岡八幡宮」への近道を成している。だから、当住宅地の人たちの初詣は、正規の「鎌倉街道」へは向かわず、ハイキングコースの山中道を踏んでいる。私の場合、当てにならない初詣は、まったくの用無しである。だけど、人様の初詣風景には、こころ和むところがる。きのうの私は、箱根駅伝のテレビ観戦と、人様の初詣風景をソファに背もたれて愉しんでいたのである。前者から生じた楽しみは、母校の思いがけない快走(往路2位)によるものだった。きょうは「箱根駅伝・復路」である。私は欲深く、「柳の下のドジョウ探し」を狙っている。しかし、「柳の下にいつもドジョウはいない」。こんな憂き目に遭いそうである。ようやく薄く夜が明けた。人様の声が聞こえている。懐中電灯を翳して、「天園はキングコース」踏んで、鶴岡八幡宮へ向かった帰りのひとたちの声なのか。あるいはこれから向かう人たちの声なのか。神様がこの一年、投げ入れる賽銭に見合う、幸運を授けてくださることを願うばかりである。 新しい年(令和7年・2025年)の正月・元日・元旦には、「御来光」を拝めるほどに、すこぶるつきの好天気が訪れた。ところが私は、御来光を拝むためにあえて、わが家近くの山(天園ハイキングコース)へは向かわず、茶の間のソファに背もたれて、ひねもすポカポカ陽気を満喫していた。しかしながら内心は、必ずしも穏やかではなかった。なぜなら、昨年のこの日このときの地震、そして9月の豪雨と相次いだ能登半島地域の災害を浮かべて、心を痛めていたからである。半面、正月気分に酔うことなく、私にもまだ慈愛の心が残っていたことにはうれしかった。きょうは正月三が日の二日目、古来の日本社会のしきたり(行事)によれば、「書初めの日」である。もとより書初めは、真新しい和紙に向かい、身なりをととのえて精神一到、墨したたる毛筆で厳かに書くものである。ところが、私には書初め気分だけが先走り、本来の書初めを真似てスマホ片手に、寝床の中で文章を書き始めたのである。すると、怠け心と指先不器用が相まって、何度もへまを繰り返し、挙句、文章は途中で消え去った。これに懲りて私は、寝床から抜け出しキーを叩き始めている。なぜ、こんな状態になったかと、一つだけ口実(弁明)を言えば、執筆時間にせっつかれて、目覚めるままに寝床で書き始めたからである。ゆえに現在、内心では(きょうは書かなければよかった)と、悔い心まみれにある。すなわち、きょうの私には「箱根駅伝・往路」のテレビ観戦の予定がある。すると私は、スタート時間の午前8時から、1時間ほどま前の7時あたりから、階下のテレビの前に居座ることとなる。おのずから、執筆時間と重なることとなる。だから私は、それを避けたかったのである。もとより「書初め」は、こんな浮ついた気分で書くものではない。私は真似事をしくじったのである。年初より私は大恥をかいて、そしてそれを晒して悔い心まみれにある。わが今年の門出は、「躓きと大恥」である。母校・中央大学の快走で、鬱のな気分が晴れれば万々歳である。 現代文藝社の掲示板に投稿してくださっている皆様、訪れて応援してくださっている皆様、今年もよろしくお願いします。 新年明けましておめでとうございます。私事では、昨年は高橋弘樹様のエールを賜り締ました。一年を通しては、大沢さまはじめご常連の皆様の好意と支援、かつまた激励により、文章を繋ぐことができました。すべての皆様に対し、御礼と感謝申し上げます。新年の元旦にさいし、皆様のご多幸をお祈りいたします。まことに勝手ながら、新年のご挨拶(状)にかえます。 《天丼てんやで年越しそば》 大沢先生 前田さん 古閑さん たまごさん この掲示板を御覧になっていらっしゃいます皆々様、今年1年ほんとうにどうもありがとうございました。 ぼくの両親は、母が健常者だった頃に離婚しました。 前田さん、☆『2024年のひぐらしの記』☆の御執筆たいへんお疲れさまでございました。 今さら(84歳)になっても、バカな私である。目覚めて寝床の中で、こんな幼稚・簡易な日常語の意味調べを試みていた。大袈裟好きのわが本性(ほんしょう)の証しと言えそうである。いや、わが掲げる生涯学習とは、寝床を教室や机代わりにして、ざっとこの程度でのものある。スマホ片手に、朔日(さくじつ)と晦日(かいじつ)、一字読みでは「朔」(ついたち)、「晦」(みそか、つごもり)、そして大晦日と元日、なお元日と元旦の違いなど、丹念に復習した。とうとう、ことし(令和6年・2024年)の大晦日(12月31日・火曜日)が訪れている。冬至過ぎてもきのうまでは感じなかったけれど、きょうは夜明けの早さをちょっぴり感じている。地上の夜明けは風雨まったくなく、見渡す大空はのどかな日本晴れである。それでもやはり気になるのは、空の果ていや見えようのないはるか彼方の地方の雪の降りようである。わが現住する鎌倉地方は、何度か気象予報士の予報で脅(おど)かされたけれど、そのたびに予報は外れて、大晦日まで雪降りなしで、この一年を閉じそうである。わがこの一年を5段階の年間通知表で評価すれば、いくらかオマケして上から2番目の「よい」でいいだろう。一方、わが家に置き換えれば、これまたオマケしても「ややおとる」と、評価せざるを得ないところである。わがことで言えば身体状況に関して、無病息災とまではいかなかったけれど、いちおう健康体で大晦日を迎えている。「もっともよい」から外れたマイナス点は、文字どおり精神状態のマイナス思考に由る。わが家の場合の減点要素は、妻の身体の衰えぶりに起因する。これを見遣れば、わが精神状態もつれて滅入るところにある。ところが妻は、幸運にも自分のことには気づかず、「パパは、痴呆症よ!」と、言ってのける。すると私は、「はいはい、そうだね」と言って、「おまえは元気だから、いいな。おれは助かるよ」と、いくらか嘘っぱちの元気づけを言い放っている。人生終末を生きる極意は、夫婦共に「我慢と労わり」である。この先を書けば、いつものように無駄にだらだらと長くなる。だからきょうは、意図してここで書き止めである。9日間にもおよぶ年末年始の休暇にありついてなのか、ご常連の人たちもその有卦(うけ)に入られているのか? 掲示板のカウント数は減り気味でもある。私はどこかへ旅立ちはできないけれど、指止めはできる。ゆえに指を止めて、この先は大晦日に当たりのんびりと、この一年を顧みるつもりにある。道路の掃除はきのう、綺麗に済ましている。 12月30日(月曜日)。起きて洗面を済まし、パソコンを起ち上げて、キーボードへ向かっている。壁時計の針はわが決めている定時を過ぎて、6時近くを回っている。身体を脅かす寒気は、冬季であれば平常であろう。しかし、寒気に極端に弱いわが身体は、ブルブル震えている。夜明け前にあっても、「冬至」過ぎたのちの夜明けの早さはいまだ見えず、窓ガラスを通して見るが外気は真っ暗闇である。このところの私は、わが家の年の瀬、とりわけ買い出し模様を書き殴り特有に、長い文章で四日ほど綴った。ところが、拙い文章は大沢さまのコメントを賜り、綾を成して色づいた。書き疲れていたわが身には、感謝感激にひたるうれしいプレゼントだった。さて、年の瀬は窮まりあすは、ことし(令和6年・2024年)を締める、「大晦日」(12月31日)である。ことし一年、ときにはずる休みに勝てず途絶えたけれど、おおむね文章は継続が叶ってきた。文章の不出来など省みず、このことには自分自身を寿(ことほ)いでいる。自惚(うぬぼ)れと、言い換えていいかもしれない。こんな心境を恥や外聞をも厭(いと)わず晒しているのは、文章はこの先(来年)へ繋がりそうにないように思えているからである。この一年のわが心の襞(ひだ)には、「84年(歳)」が絶えずこびりついて、わが生き様を脅かし続けていた。すると来年は、これにさらに輪をかけて必定(ひつじょう)、「85(歳)」に脅かされることとなる。まさしく、文章書きにとどまらず、わが生き様における「恐怖」の訪れにある。もとより「人の命」は、一寸先は闇の中にある。だからわが命とて、85歳(令和7年・2025年、7月15日)へ、辿り着く保証はまったくない。運よくわが命あっても、文章書きを妨(さまた)げるわが家の事情は数多ある。ところが、これらに打ち勝ち文章書き続ける気力は、私にはまったくない。書くまでもないことを書いているけれど、わがマイナス思考のこの一年の納め文として、書かずにはおれないものである。ゆえに、平に詫びるところである。韓国では旅客機墜落の事故が起きている。日本にあっては大雪情報や予報が溢れている。人様の多くは9連休にことよせて、いや、いくぶん浮かれて、国内外への旅立ち模様が喧(かまび)しく伝えられている。物見遊山への旅立ちのない私は、ちょっぴり羨むところである。けれど、なにかにつけて「好事魔多し」の世の中である。すると、わが家に居ながらにこんな文章を書いて、新年迎えそうな私は、案外幸福者なのかもしれない。ようやく明けた夜明けの空に、雪降りや兆しはない。年の瀬、表題のつけようなく「無題」である。 奥様への手土産を思いつかれた前田さん。お刺身用のエビ十尾。それをご覧になった奥様の笑顔が浮かんできます。
第101回(令和7年)「箱根駅伝」記録
ことしの机上カレンダーの使い始め
「書初め」は、躓きと大恥
現代文藝社編集室より
祝❗ 迎春
♪HIROKIのタレント日記♪
きょう大晦日は、昼間の勤務(実は夜勤ばかりではなく、いろいろな時間帯で勤務しています(^^))でしたので、帰りに天丼てんやで年越しそばを食べました。
画像は、オーダーした「野菜天丼と冷そば(一人前)セット」(税込1000円)です。
てんやは、行きつけの店ですが、大晦日に行った事とそばを食べた事は、まったく初めての事だったのです(笑)。
大晦日の営業は、ほとんどの店が”年越し天ぷら予約受け渡しのみ”で、店内飲食NG!! なのですが、ここの店舗は、店内営業と年越し天ぷら予約受け渡しの両方をやっていたので、嬉しいところでした&美味でした*(^o^)/*\(^o^)/
新年2025年もどうぞよろしくお願い申し上げますm(_ _)m♪前田さんへ2024年大晦日のメッセージです♪
前田さんが本日の☆『ひぐらしの記』☆でお書きになっていらっしゃる「我慢と労わり」は、このふたりは、まったくまったく持ちあわせていませんでした!!
離婚する前は、ふたりを仲直りさせようと、いろいろな動きがありました!!
母方祖母からは、「ひろきがキツく なにやってんだよ!! と言ってやればいいんだよ!!」というキョー烈な話がありましたが、とてもとてもぼくは言う気持ちにはなれませんでした↓↓
父方祖母は、当時の我が家に来訪して、なにやらふたりに伝えたようですが、解決することなく、その後何年か経て、離婚が成立しました!!
ぼくの両親にも前田さんのような『心の優しさ』があったならば、どんなに良い夫婦だっただろうか、と思わずにはいられない心境です。
そして、☆『2025年のひぐらしの記』☆へ続く”大大大エール”を贈ります(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/(^O^)/とうとう、「大晦日(おおみそか)
年の瀬、表題のつけようなく「無題」
パパって、素敵!
若い頃の私は、スーパーマーケットで買い物かごを片手に買い物をする自分の姿を思い浮かべるたびに身震いがしたものです。生きるためには食べ物を買い、それを調理しなればならない。けれど台所に立つ自分の姿があさましく惨めに思えたものでした。若さ故なのか、どこか間違った生き方をしていたのか、今思うと、甘ったれた世間知らずの青二才だったと恥ずかしくてたまりません。
生きると言うことは、厳しい命の戦いなのだと今頃になって悔いています。生きる凄まじさの中でも、心穏やかに命を保っていく生き方をしたいものと思うこの頃です。
掲示板
