掲示板

坂本弘司撮影

♪前田さんへ『小さな幸福』の感想です!!

ぼくは普段は、さいたま市の隣の志木市にある美容室まで行って、パ〜マやカットをしてもらいますが、時間がない時は、家の近くにある安価なカット専門の美容室へも行きます。
技術も確かで、15分位で終了しますので、忙しい時は本当に助かります♪♪

「海鮮食堂」のランチ限定!!「刺身定食」をぜひぜひ食べてみたくなりました◎◎

今回は、前田さんと奥様の幸福感がたくさん漂う『ひぐらしの記』でした♪♪

♪大沢先生へメッセージです2!!

大沢先生、昨日の複写作業、本当にお疲れさまでございました。
新掲示板へもどんどん投稿させていただきます♪♪

パッションフルーツと月下美人の益々の生長を願っております♪♪

私の庭2

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パッションフルーツもいまだ蔓の伸びに勢いがありませんが、
続けて蕾が出てきました。これから暑くなってき元気が元気が
出ると思います。

私の庭1

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今年の天候不順で月下美人は痛々しい姿になってしまいました。
でも、彼女はめげませんでした。なんと、蕾があちこちに出始め
ました。まだまだ続いている天候不順で開花までこぎ着けるかど
うか、見守っていきたいです。

小さな幸福

六月十七日(金曜日)、梅雨時、すっかりとは明けきれない夜明けが訪れている。おとといの夜、二度寝にありつけず起き出して書いた短い文章は、わが心象に飛んでもない僥倖をもたらした。きょうもまた、二度寝にありつけず、起き出して来たまま書いている。しかし、再び柳の下にドジョウはいなくて、ただただ苦しんでいる。いまさら言わずもがなのことだけれど、自分自身が年をとって、それに輪をかけてつらいのは、妻をはじめ周囲の人たちがみな、老いの姿を見せていることである。自分自身は鏡や写真を避ければ、面貌の老いは見ないで済むことがある。精神状態はもちろん青春ではないけれど、そんなに老いを感じない。だから私は、意識して鏡や写真を見ることは避けている。馬鹿げて幼稚な、わが老いの身癒しの便法である。鬱陶しいマスク姿にも唯一、ご利益にありつけるのは、いっときの老い面隠しである。最も身近なところでは妻も、すっかり面貌を変えてしまった。ところが私は、それを見ることを避けることはできない。一方、妻もまた、わが老いた面貌を見ずに済むことはできない。挙句、共に見苦しく、息苦しい日々に見舞われている。鏡や写真は見なくとも、こんな精神状態こそまさしく、老いの証しである。無理して起き立の文章を大慌てで書かなければ、こんななさけない文章は書かずに済んだ。きのうは、妻の髪カットの引率同行で、妻が普段行きつけのカット店へ出向いた。美容院とは書けない、場末の安価を売り物にする出店(でみせ)みたいなところである。ところが妻は、指名料金を払ってまで担当者を選んで、この店に馴染んでお気に入りである。お店は路線バスに乗って、私が買い物へ行く大船(鎌倉市)の街にある。妻は久しぶりに髪カットを果たし、そのうえ仕上がりの良さに十分満足した。互いのマスク外しの面貌はほころび、いつになく会話が弾んだ。その証しには初入りの「海鮮食堂」(二階)に入り、カウンターで適当な間隔をとり、昼限定の「刺身定食」(一人前1000円)を摂った。ありきたりの定食とは思えない豪勢な見栄えと、堪能できる美味だった。普段、レジ係との会話が好きな私は、初入りかつ初見にもかかわらず臆せず、マスク越しに言葉をかけた。「下の看板にいつわりなく、いやそれ以上に豪勢でした。二人とも、大満足でした。また来ますね。ありがとうございました」。中年の女性レジ係は、思いがけない様子を露わにされて、丁寧に謝意の言葉を返された。店を出ると妻はヨロヨロ、私はノロノロ、と街中のお店回りを果たし、帰りのバスに乗り家路についた。二人の背中を、雨模様の梅雨空が追っかけてきた。互いの気持ちは急いだ。けれど、足は願うようには急いでくれない。しかし、共に無事でわが家へたどり着いた。「パパ。きょうはありがとう」「髪、綺麗に仕上がっているよ」。小さな幸福とは、これで良し、いやこれくらいで十分! 殴り書きはいつもと変わらなかったけれど、きょうは短からず、長からずの文章の閉めることとなる。小さな幸福は、案外、小さな僥倖をもたらしている。老いの身、欲張ってはいけない。

ドジな私

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 パッションフルーツは蕾の開花を見るのが遅れて受粉
できたか分かりませんが、花弁が閉じているので多分
成功しているはずです。

気づいてくれて感謝です!

 常連さんの投稿を待っていました。既存の掲示板からうまく
新規掲示板に移動できるか心配でした。昨日は既存の掲示板の
投稿を複写するのに一日かかりました。画像も簡単に投稿でき
るので安心しました。後は、こちらの掲示板に常連さんが投稿
してくださることを気長に待っています。

♪大沢先生へメッセージです!!

掲示板がリニューアルしましたね!!

開花は、パッションフルーツの花ですよね!!
実がなる事を願っています♪♪

私の庭

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いつの間にやら花咲いてしまい、夕方五時に気がついた。
待ちに待っていたのに、朝見たときはまだつぼみが堅い
ような気がして、うっかり見過ごしてしまった。十時頃に
開花していたのだろう。遅かりしである。受粉がどうなる
か分からないけれど、とにかく遅ればせながら作業を終えた。

三つ巴の友愛がもたらした僥倖

神様は、初詣、賽銭、あるいは御百度を踏んで、いくらお参りしたり、願ったりしても、爪の垢ほどのご利益(りやく)さえ恵んでくれない。これに比べて現人神(あらひとがみ)の友人は、祈ったり、強請(ねだ)ったりなどしなくても、わが知らぬところでさりげなく、無償でとんでもないご利益(僥倖)をもたらしていた。メールを開けて玉手箱、私はびっくり仰天した。「前田様 今日、丸山宏子さんからお電話をいただき、ふうたろうさんが前田さんの今日の掲示板の投稿を宏子さんに電話で読んであげたそうです。とても感激されていました。親友は良いものですね。私まで嬉しくなりました。大沢」。お仕着せの友情など、なしのつぶてのままのふうちゃんにたいして、私は真似ることなく大慌てで、「切ない恋のキュービッド、ありがとう」と、送信メールをかけた。きょう(六月十六日・木曜日)の夜明けにあっては、きのうのほろ甘く、かつほろ苦い涙雨は上がり、うっすらと朝日が射し始めている。起き立のわが気分はすこぶる爽快である。しかし、きのうの短い文に味を占めて、だらだらとこの先を書く気にはなれない。幼い子ころから育んできた三つ巴の友愛がもたらした僥倖に、私はしばし浸りきりたいのである。爽やかな余韻は、さらにこの先、わが命尽きるまでエンドレスになりそうである。そうであればと私は、とりあえず両掌(りょうて)を合わせて、パチパチと大音を立てている。