
坂本弘司撮影 十二月三日(土曜日)。口内炎の再発症による痛みのせいで、目覚めて起き出してきたら、身に沁みる寒気が訪れていた。この時季にしては異常気象と思えるほどに長く、暖かい日が続いていた。当たり前のことだけれどこの寒さは、不意を突かれたとんだお邪魔虫である。壁時計の針は、いまだ真夜中と呼ぶにふさわしい三時前をめぐっている。私はだれもが知っているごく簡易な三つの言葉を浮かべて、机上に置く電子辞書を開いた。難病:①治りにくい病気。②厚生労働省が指定した特定疾患の俗称。持病:全治しにくくて、常に、またしばしば、悩み苦しむ病気。宿痾。痼疾。僥倖:思いがけない幸せ。偶然の幸運。さて、私の場合は自分勝手に、たかが口内炎をわが難病に指定している。もちろん、正規の難病扱いにはできない、自分だけのまがいものの難病である。ところが一方、私の場合口内炎は、れっきとした持病と言えそうである。つらい辛い、確かな持病である。挙句、泣き虫の私は、現世(此岸、この世)から、お釈迦様が「極楽浄土ですよ…」と言って誘う来世(彼岸、あの世)へ、ときには早く行きたい思いもする。きのうの私は、あと四十分ほどで訪れる(四時)に、文字どおりの僥倖に恵まれた。僥倖とは起き出して来るや否や、サッカー・ワールドカップ(カタール)における、対スペイン戦のテレビ観戦に遭遇したのである。私は急いで階段を下りて、階下の茶の間のテレビ桟敷へ赴いた。そして、ソファに置く、リモコンスイッチをすばやく押した。すると、これまたなんという僥倖であろうか。まるで、構えて仕掛けていたかのがごく、キックオフから間もない画面が現れた。こののちの私は、試合経過に見入り、ノーサイド(試合終了)にいたるまで、試合に魅入った。日本チームの勝利を見定めると、急いで二階へ逆走した。そして、気分の沸き立つままに、「勝ちました」と書いて、投稿ボタンを押した。きょうの私は、ちょうど四時に合わせて、このことを書くつもりだった。ところが壁時計の針はめぐり遅れて、未だ三時四時分あたりをめぐっている。このため、四時近くまで、あえて時間潰しの推敲を試みる。そして、この文を閉じれば、階下へ下りて、洗面所に置く軟膏(塗り薬)を口内炎の患部に塗りたくるつもりでいる。夜明けの明かりは見えず、時計の針は四時近くまで進んできた。そして今まさに、きのうの試合開始時間へ到達した。心置きなく、投稿ボタンを押して、パソコンを閉じる。 勝ちました。 十二月二日(金曜日)、観るつもりで、構えて起き出してきたのではない。ところが、目覚めて起き出して来た時間は、偶然にもサッカー、対スペイン戦の試合時間と重なっている。日本国民の多くの人たちは、寝ずにこの時間を待っていた。そう思えば、せっかくの好都合の目覚めと起き出しであり、もったいなく思うのは、へそ曲がりの私とて、並の人情の発露であろう。こんな理由で、この先の文章は止めて、階下の茶の間のテレビ桟敷へ向かうこととする。予定にはなかったけれど、サッカー・ワールドカップ・対スペイン戦のテレビ観戦のためである。再び、パソコンに向かうかどうかは、試合経過の中で沸き立つ気分しだいである。 ふうたろうさん、シンミリを分けてくださってありがとうございます。あの頃は、 十二月一日(木曜日)。いよいよ、令和4年(2022年)の最終月が訪れている。人生の晩節を生きる私には、あまりにも速い時のめぐりを感じて、心寂しさつのるものがある。大袈裟好きのわが表現を用いれば、寂しさと侘しさに絡まれて、心身が圧し潰されそうである。現在の時刻は、夜明けまではまだ遠い3時過ぎである。寝床は、文字どおり睡眠の場所である。寝床は、目覚めて様々な瞑想に耽る場所である。ところが私の場合は、「冥想」に変えて同音異義の「迷想」に耽ること頻りである。つらいと言えば確かにつらいけれど、わが小器の証しゆえに耐えなければならない。私は目覚めて、様々な迷想に絡まれていた。その一つは、こうである。わが絶えない愚痴こぼしは、生きるための「捌け口」である。もちろんこの表現は、真実に近いものである。一方、わが絶えない愚痴こぼしは、生きるための「糧(かて)」である。ところがこちらは大袈裟すぎて、誤魔化しのままごとみたいなものである。いずれにしても私は、「ひぐらしの記」における愚痴こぼしで、生存の苦しさをかなり薄めている。確かにこのことは、文章を綴るわが身勝手である。ゆえに一方、好意を授かるご常連の人たちにたいしては、平に謝るしか便法はない。迷想の続きであって自分自身、現在、何を書いているのかさえわからない。ただはっきりと自覚できるのは、気違いじみた迷想だ! ということである。「ひぐらしの記」は、継続だけが取り柄にすぎない。もちろん、通説の「継続は力」には、まったくなり得ていない。さて、「ひぐらしの記」はブログ特有に、バッシングや炎上を恐れて、私はネタに様々な自己制御(自制)を掛けている。挙句、ネタの広がりはなく、おのずからいつも同じような文章に成り下がっている。もとより、私自身面白味なく、そのうえ恥を晒して、恥じ入るところである。しかしながらこのことは案外、「ひぐらしの記」継続の本源を成している。確かに、自虐と愚痴こぼしまみれの文章には、他人様(人様)からのバッシングや炎上の恐れはない。挙句、「ひぐらしの記」は、継続にありついてきたのである。もちろん自省するところはあるけれど、半面、幸いなるハプニングである。年の瀬初日の文章には、夜明けまでの空き時間を埋めるだけの迷い文を書いてしまった。不断のわが心境は、時々刻々、様々に揺れ動いている。年の瀬にあってはこの心境に、いっそう際限なく拍車がかかること請け合いである。こんな書き殴り文では、わが気分の解れるところはない。壁時計の針は未だ4時過ぎで、夜の静寂(しじま)にあっては、月光および日光共に、姿を暗ましている。 まさしく「タケノコのせいくらべ」。文章表現の妙味に出合って、すこぶる愉快です。洋子様には再び御礼を言い、大沢さまには感謝を申し上げます。 平様、お久しぶりですね。画像をクリックしてみると、大写しの日の出前の景色、竹の子のせいくらべ、そして菊人形、すべてに遠い空の元でお過ごしの貴女様のお元気な様子が浮かんできます。とは言っても一度もお目にかかったことのないお方です。それでもご投稿に接すると貴女様の心優しさがこんなにも懐かしく、喜びが満ちてきます。 十一月三十日(水曜日)。現在の壁時計の針は、きのうの夜更けを引き継いで、いまだ「丑三つ時」(午前2時から2時半頃)あたりをめぐっている。目が冴えて二度寝にありつけず、起き出して来た。起きたからにはパソコンを起ち上げるのは、わが身にこびりついたしがない倣(なら)いである。顧みれば「ひぐらしの記」は、元よりご好意をさずかる大沢さまとの二人三脚の下、友人・知人の声ある声、さらには掲示板上の声なき声にあずかり、思いがけなく多くの出会いを生んで続いてきた。加えて、竹馬の友・ふうちゃんが写した、わがふるさとに流れる「内田川」の実景は、わが逸(はや)る心象をさらに奮い立たせた。文章自体はなんら面白味のない、わが愚痴こぼしまみれにすぎない。それだけに余計、私に「ひぐらしの記」が恵んだ僥倖(ぎょうこう)は無限大であり、とうてい測り知ることはできない。それゆえに私は、ひたすら出会い得たすべての人たちにたいし、感謝と御礼の志を記すところである。こんな殊勝な気持ちになっているのは、もちろん突然でもなく、まして偶然ではなく、常日頃にあって絶えず私は、心中に浮かべている。起き立てなのに現在の私は、ピカピカと目が冴えている。もちろん、二度寝にはありつけない。しかしきょうの場合は、目が冴えて二度寝にありつけないことも、堪能すべき善い・良い・好い・佳いことである。「ひぐらしの記」は現在、わがこれまでの82年の人生行路にあっては、生まれて生誕地で過ごした(18年間)に迫るほどの年数(15年)の途中にある。六十(歳)の手習いからかんがみれば、わが人生行路の四分の一強を超える長丁場でもある。だから、ちょっぴり自惚(うぬぼ)れてみれば、もちろん文章などまったく素人(しろうと)の私が為せる年数ではない。きょうは十一月の最終日である。いよいよ明日からは、令和4年(2022年)の歳末すなわち最終月を迎えることとなる。「人間、万事塞翁が馬」、また「一寸先は闇の中」である。それゆえに、早やてまわしにわが心中に根づく「感謝と御礼の念」を吐露することは、悪いことではないであろう。ますます、目が冴えてきた。だからこのまま、寝床へとんぼ返りしても、二度寝にありつけることはない。しかしながらいつもとは違って、心地良い気分である。もちろんこの気分の良さは、自分だけでは成し得ない。現在の場合は、平洋子様のご投稿文が、わが気分の好さに加速度と拍車をかけている。拙(つた)い文章ながら私にとっての「ひぐらしの記」は、人様との出会いを為し、なかんずくご厚誼(こうぎ)に恵まれて、わが人生行路における何物にも勝る宝物である。それゆえに人様に対し、幾重にも謹んで「感謝と御礼の大志(たいし)」で満杯である。壁時計の針は、未だ三時過ぎである。夜明けまでの空き時間は、洋子様のご投稿文に縋り、救われそうである。 お久しぶりです。心安らぐ丁寧なふるさと情報と加えて、洋子様のご近況、さらには恩師・お義母様の安寧を知ることができました。ありがたく、心より御礼申し上げます。ありがとうございました。
バカな、私
再び、パソコンを立ち上げました
早暁、いや未明(午前四時)
平先生、宏子さん美しい!
ふうたろうさんからときどき思いがけないお便りを頂きましたね。お茶目で愉快な
話題を伝えていただきました。本当に懐かしいです。年の瀬初日は、迷い文
大沢さまの文章を追っかけて
ああ、心洗われる投稿
義母様もお元気とのことで、何よりです。また、投稿を心よりお待ちしています。十一月末日、「感謝と御礼の大志」
平洋子様、御礼申し上げます

