大沢久美子撮影 常連さんの投稿を待っていました。既存の掲示板からうまく 掲示板がリニューアルしましたね!! 開花は、パッションフルーツの花ですよね!! 神様は、初詣、賽銭、あるいは御百度を踏んで、いくらお参りしたり、願ったりしても、爪の垢ほどのご利益(りやく)さえ恵んでくれない。これに比べて現人神(あらひとがみ)の友人は、祈ったり、強請(ねだ)ったりなどしなくても、わが知らぬところでさりげなく、無償でとんでもないご利益(僥倖)をもたらしていた。メールを開けて玉手箱、私はびっくり仰天した。「前田様 今日、丸山宏子さんからお電話をいただき、ふうたろうさんが前田さんの今日の掲示板の投稿を宏子さんに電話で読んであげたそうです。とても感激されていました。親友は良いものですね。私まで嬉しくなりました。大沢」。お仕着せの友情など、なしのつぶてのままのふうちゃんにたいして、私は真似ることなく大慌てで、「切ない恋のキュービッド、ありがとう」と、送信メールをかけた。きょう(六月十六日・木曜日)の夜明けにあっては、きのうのほろ甘く、かつほろ苦い涙雨は上がり、うっすらと朝日が射し始めている。起き立のわが気分はすこぶる爽快である。しかし、きのうの短い文に味を占めて、だらだらとこの先を書く気にはなれない。幼い子ころから育んできた三つ巴の友愛がもたらした僥倖に、私はしばし浸りきりたいのである。爽やかな余韻は、さらにこの先、わが命尽きるまでエンドレスになりそうである。そうであればと私は、とりあえず両掌(りょうて)を合わせて、パチパチと大音を立てている。 六月十五日(水曜日)、二度寝にありつけず、仕方なく起き出してきた。「丸山宏子さん」は掲示板へのご投稿はないけれど、『流星群』では親しい投稿仲間である。宏子さんの旧姓は「松本」である。渕上先生の名簿帳の点呼にあっては、わが名・前田の次に、「松本さん」、と読まれた。ドキドキした。たったこれだけで、わが人生における初めての淡い恋心が芽生えた。実りはなかった。だけど、しがないわが人生を、風船みたいにふくらましてくれた。気狂いなく、ようやく短い文章を叶えた。寝床へとんぼ返りをする。スヤスヤと、安眠に就けるのか。それとも、いっそう悶々とするのか。それはわからない。雨が降っている。 蒸し返しになるが、原邑には、年寄たちが孫の子守を兼ね、雑談するために集まる「火焚小屋」と、呼ばれた場所があった。原邑の子供たちは、ここから、世に、デビューし、内田小学校に通うようになった。 六月十四日(火曜日)、梅雨の合間らしい、今にも降り出しそうな雨空の夜明けを迎えている。起き立の私は、きょうこそ短い文章で閉じたい思いに駆られている。しかしながらいつもの殴り書きゆえに、この決意の結末は、みずから知らぬが仏である。竹馬の友・ふうちゃん(ふうたろうさん)は、ふるさと言葉で言えば「にがしろ」(元気者)であり、一方の私は、きわめて気の小さい、すなわち臆病者である。どうしようもない生来の性質の違いとはいえ、子ども時代にかぎらず後々にいたるまでこれには、私は大損である。なぜならこの違いで、互いの子どもの頃にかぎってもふうちゃんは、子どもらしい数々の愉快なエピソード(思い出)をたくさん持っている。その一つをわがたっての願いを叶えて、ふうちゃんはきのうの掲示板に綴ってくれた。言い出しっぺの私は、もちろん感謝感激だった。その証しには、私は短く「恩に着る」と記した。臆病者の私は、他家(よそ)の西瓜泥棒、柿盗み、梨盗りさえの記憶もない。柿と梨の場合は、台風が落とすのを庭先でじっとかがみ待って、落ちるやいなや脱兎の如く走り、拾って持ち帰った記憶だけである。わが子ども時代にあって、子どもらしい愉快な思い出がないのは、いまとなってはつくづく大損である。さらには、にがしろ(元気者)のふうちゃんと比べて、臆病者のわが性質は、子ども時代のみならず、わが人生行路における「後祟り」さえ成している。そのため私は、わが子どものときからこんにちにいたるまで、ふうちゃんにたいしては羨望頻(せんぼうしき)りである。繰り返せば、わが人生行路における子ども時代にあって、私は愉快な思い出を成さずじまいであった。子ども時代の思い出が少ないのは、今となってはかえすがえす残念無念である。先週のNHKテレビ番組『ダーウインが来た』には、アマガエルの生き様を伝える特集が組まれていた。普段の私は、犬の牙、猫の目、さらには虫けらの虫刺されによる痒みなどが怖くて、猛獣はもとより生き物の番組は観る気がしない。おのずからこの番組も敬遠しがちで、これまでほとんど観ずに、つけっぱなしの素通りを余儀なくしていた。ときたまちらっと観たのは、魚介類、あるいは猛禽類ではなく小鳥の飛び交う場面ぐらいだった。ところが、アマガエルのこの日にかぎり、始めから終わりまで観てしまい、挙句、いたずらをしでかした思い出にふけっていた。私だけではなく隣近所の遊び仲間たちは、アマガエルを掴まえて手の平に持つと、それぞれが家から麦わら(ストロー)を持ち出してきた。そしてこののち、アマガエルの尻の穴にストローを差し込み、風呂沸かしの竹棒さながらにフーフーと吹き合った。小柄なアマガエルのからだは、たちまち風船の如く膨れ上がった。確かに、アマガエルにはつらい仕打ちだった。けれど、子どもたちには他愛無(たわいな)い手近の遊びだったのである。その証拠にこれは、わがわずかな愉快な思い出の一つを成している。いまさら、詫びや懺悔のしようはないけれど、このときに私は、番組で観ていたアマガエルにたいし、償いまじりの憐憫の情をたずさえていた。アマガエルだけではなくカエルにたいしは、子どもたちは「わっこ」と、呼んでいた。瘡(かさ)のようなカサカサの恐ろしい風貌のガマ(ヒキガエル)には、風貌そのままに「かさわっこ」と、呼んでいた。ところが怖くて、これにはストローは吹けなかった。案外、にがしろのふうちゃんは、恐れず吹いていたのかもしれない。聞いてみたい気もするけれど、竹馬の友とて二日続きのおねだりはできない。きょうもまた、意図した短い文章は叶えられなかった。夜明けの雨空は、風まじりの小雨を落とし始めている。 私は毎回流星群に掲載のふうたろうさんの独創的な作品の虜である。
気づいてくれて感謝です!
新規掲示板に移動できるか心配でした。昨日は既存の掲示板の
投稿を複写するのに一日かかりました。画像も簡単に投稿でき
るので安心しました。後は、こちらの掲示板に常連さんが投稿
してくださることを気長に待っています。♪大沢先生へメッセージです!!
実がなる事を願っています♪♪三つ巴の友愛がもたらした僥倖
ようやく叶えた、短い文
火焚小屋
火焚小屋の冬場は、蒔きを焚き、年寄たちは、火を囲み雑談に耽り、孫たちは、年上者が、いろいろの遊びを教えながら、面倒をみていた。子供たは、上級生から、原邑の仕来りを教えられた。
若い女性が原邑を通るのを見つけた時は、「良かおなご」と声を掛けて、石を投げろ・・・とか、上級生が片手をあげ「ドゴビン」声をかけたら、一目散に上級生の前に並べ、一番最後に並んだ者は「ビンタ」・・・とか、ヘビを見つけたら、尻尾の先を捕まえて振り回せ・・・とか、数限りなく、教えてもらったが、勉強に関するものは何も教わらなかった。だからなのだろうか。学年一の喧嘩は、いつも、原邑から出たが、学年一勉強は全く・・・切ない思い出の「わっこ(アマガエル)物語」
ふうたろうさんへ
独創的で人間の暮らしの機微をみごとに捉えられているからである。
そして、思わぬ発見があったり、クスリと笑いがこみあげたり、人情味
溢れているのもいい。そんなふうたろうさんの作品との出会いに卒業など
思いも寄らないことである。まだまだ書いてくださいね。読者に心の潤い
を与えてくださいね。お願いします。
ところで次回の作品も心待ちにしています。
掲示板
