掲示板

大沢久美子撮影

♪♪前田さんへメッセージです♪♪

きょうは、『ひぐらしの記』を2回拝読することができて、たいへん嬉しく思いました*(^o^)/*\(^o^)/
このような日を待ち望んでいました♪♪

風邪症状、そうだったのですね。
なんとか完治するように祈りを捧げています。

きょうは、太陽の恵みがありますので、大大大エールは贈らなくて大丈夫ですよねーー(笑)。

太陽の恵み

朝方の木枯らしは去り、入れ替わって、燦々と暖かい光がいっぱい射し始めています。太陽の恵みは、未だに治りきらない風邪症状をほぐしてくれるかのようです。だから、太陽を崇めて、いっそうの感謝の気持ちを込めて、この文章を書いています。もちろん、太陽の恵みは、金銭の費消をともなわない無償の賜りものです。だから余計、感謝するしかありません。私にとっての太陽の恵みは、生存の喜悦の確かな証しです。蛇足を書き添えて、すみません。

続いている「好天気」

十一月十四日(月曜日)、起きてパソコンを起ち上げ、しばし机上に両頬杖をついていた。頬杖を外し、ポコポコとキーを叩き始めている。片目で見遣る壁時計の針は、五時近くを回っている。夜明けが早い頃で晴れであれば、燦燦と朝日輝く夜明けにある。しかし仲冬の時は、「冬至」(十二月二十二日)へ向かって、いっそう夜明けを遅らせている。それゆえ、前面の雨戸開けっ放しの窓ガラス越しに見る外界は、未だに暗闇である。ところが、私には夜明けの遅いご利益(りやく)がある。それは、執筆に焦燥をおぼえないというご利益である。確かに、私はのんびりとキーを叩いている。めっぽう、うれしいご利益である。きのうは、書き殴り特有の締まりのない文章を長々と書いた。挙句、草臥(くたび)れ儲けだけの文章に甘んじた。そののち、草臥れは尾を引いて、きょうは休養を決め込んでいた。しかし、書き出したからには寝起きにあって、心中に浮かべていた一つを書いておさらばである。自然界は、天変地異の鳴動で人間界に罪をつくる。そしてその償いは、四季折々の恵みで果たす。とりわけ、好天気のもたらす償いは、天変地異の罪を蹴飛ばす感さえある。これはこのところの好天気にありついて、わが実感である。きのうの道路の掃除にあっては、自然界のこんないたずらに遭遇した。掃き清めたところに、まるで「待っていました!」とばかりに、ほぼ同量の枯れた枝葉が舞い落ちてきた。憎たらしく、かつ業(ごう)を煮やすところだけれど私は、もはや手に負えず苦笑(にがわらい)を浮かべて、山を見上げた。このときの心境は、好天気恵んだ心象の余裕だったのである。確かに、自然界は罪をつくり、一方で確かに、罪償いをしている。人間界はどうであろうか? しばし、落ち葉時雨の中にたたずみ、あらためて学んだ自然界の健気(けなげ)さであった。夜明けて、朝日の見えない曇り空に、数えきれない彩雲が散らばっている。是れ、また好しの夜明けである。

自然界の恵み

十一月十三日(日曜日)、未だ薄闇の夜明け前にある。闇は時を追って消え朝日が昇り、明るく夜が明ける。すると、わが気分もまた晴れる。もちろん、曇りや風雨のない晴れの夜明けの場合である。晩秋の「文化の日」(十一月三日)前あたりから、「立冬」(十一月七日)を挟んで、このところまでの自然界は、人間界に胸の透く好天気を恵んでいる。気象予報士は、東京都にははつか(二十日)近く、雨が降っていないと言う。すると、すべてが晴れの日ではなくても、それより前から好天気が続いていることになる。それ以前は異常気象にも思えていた、気分の乗らない天候不順が続いていた。だから、このところの二十日近くの好天気は、自然界の罪償いとも思える粋な計らいである。それなのに寝起きの私は、こんな無粋なことを心中に浮かべている。とことん、大損な性分である。人生とは、文字どおり生存の期間である。期間は、様々な言葉に置き換えられる。すぐに浮かぶものには、生涯や寿命、そして尽きるところは終焉である。生存期間の区切りには年代を見据え、様々な区分の言葉がある。それらの一つを浮かべれば、生年、幼年、青少年、壮年、そして晩年(晩歳・晩節)という、命の繋がりがある。晩年の後をあえて書けば、それは最期である。大まかな二区分では、若年・弱年(じゃくねん)もある。現在の私は、老年・晩年に相寄るところにある。初冬がしだいに仲冬へ深まるにつれ、山の小枝は枯葉となり、微風(そよかぜ)なくともヒラヒラと道路に舞い落ちて、日に日に落ち葉の嵩(かさ)が弥増(いやま)している。現下の自然界は、風情(ふぜい)たらたらと山、黄色や紅(くれない)に染まる好季節にある。ところが私は、それらの煽(あお)りや好天気のもたらすダブルピンチを食らっている。実際には嘆息まじりに額に汗を滲ませ、せっせと落ち葉を掃き寄せては、七十リットルの透明大袋に押し詰めている。それでも、命尽きて枯れて落ちた小枝の姿に私は、ちょっぴり愛(いと)おしさをつのらせている。それは人生晩年から終焉にいたるわが生き様が、落ち葉の姿に重なるゆえであろう。もちろんこんなことでは、心の安らぎすなわち、安寧な日常生活は遠のくばかりである。枯れ葉と落ち葉の多いこの季節は、儚くもわが晩年の写し絵でもある。それでも私は、寒気をともなわなければ私の好む季節である。わが身の斃(たお)れ方、できれば枯れ葉の落ち方に肖(あやか)りたいと願うのは、叶わぬわが欲望であろう。日本晴れに雲の欠片がわずかに浮いて、きょうもまた清々しい仲秋の夜明けが訪れている。わが限りある人生は、自然界のお恩恵に気分を癒され、やっとこさ生存の喜悦にありついている。きょうは、自然界讃歌つのる、仲秋の晴れの夜明けである。道路の掃除はは、落ち葉多い道路の掃除は厭(いと)わない。

ふうたろうさんへ

 懐かしいふうたろうさんの家のつるし柿の風景ですね。遠く澄み切った秋の空がのぞいています。取って食べてしまいたくなるようにみずみずしい色合いをしています。ふくよかで甘そうな柿ですね。
 皆既月食の夜、私もベランダに出てみたのですが、満月が煌々と輝いていて部屋に入ってしまいました。その後、気がついて再び出てみると、笹藪の影に隠れて見えずじまいでした。
 掲示板に投稿してくださって嬉しいです。いつも本当に心のこもったお気遣いで感謝します。
 

♪前田さんへメッセージです!!

前田さん、御返事の御投稿、どうもありがとうございます。
たいへん嬉しいです。
心から感謝申し上げます。
三竦み状態に打ち勝ち、『ひぐらしの記』の更なる御発展を祈っております☆☆☆☆☆☆☆

♪大沢先生へメッセージです!!

お褒めの御言葉をいただいて、本当にどうもありがとうございます。
たいへん嬉しく、心より感謝申し上げます。
現代文藝社と私の畑の益々の御発展を祈っております☆☆