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坂本弘司撮影

私の庭

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今年もどうにか月下美人の蕾が四つ出来た。全身痩せ細って、葉っぱも枯れたようになっているけれど蕾は負けじとけなげである。
 パッションフルーツの蕾はだいぶ前からついているけれど、大きくなれずに大部分黄色く枯れてしまった。唯一一つ残ったのが大きくなりつつある。みんな花開くかどうか分からない。

今朝の私

 パソコンを立ち上げてメールを見る。前田さんの「ひぐらしの記」が書かれているという連絡が入っている。すぐにワードプレスにログインしてホームページの「ひぐらしの記」にアップする。
 「朝が来た」と題名が目に飛び込んで、私は思わず「ほんと、朝が来ただわね」と呟く。何とすがすがしい言葉だろう。いつも待ちわびている「朝」の到来を心から実感する。だから、前田さん、やっぱり「ひぐらしの記」いいものですね。

朝が来た

7月8日(土曜日)、曇天の梅雨空の朝が来た。梅雨は明けそうで明けない。一年のめぐりはやけに早い。この先、わが身辺にはどんなことが起きるのか。いよいよ、「ひぐらしの記」は終焉の時が来た。起き出して来て、わが心中に浮かんでいることを書いた。自己診断では内蔵器官に自覚症状なく、異状は無さそうである。手に負えないのは精神、すなわちモチベーション(意気)の低下である。ただこちらも、精神破綻を来している自覚はない。だから、さわやかな夏空が来たら案外、心身共に健全に戻り、意気軒高になるかもしれない。来週にはこんな予定が詰まっている。10(月曜日)、歯医者。14日(金曜日)、内視鏡検査の要否相談のための「大船中央病院」への通院。15日(土曜日)、次兄初盆。そしてこの日は、わが誕生日(83歳)。確かに、じたばたしても、どうにもならない。ところが、「どうにでもなれ!」と嘯(うそぶ)く、豪胆さが自分にはない。自分自身にたいし、恨みつらみつのる夜明けである。この先が書けない。

私の畑

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今朝は迷っていたナスの収穫をとうとう実行した。虫食いも傷もない光り輝くナスの肌である。ついでにしその葉も採った。ナスは2番目の子供が大きくなりつつある。こちらも今のところ傷のない若々しい姿をしている。

巷の雑草に目をとめて

 そうですね、高橋さんのように夜間勤務が多い場合、巷の雑草にまで目をとめる余裕はないのかも知れませんね。町中に暮らしていると、土がむき出しの道など、探して歩く暇などありませんよね。おばあさまと過ごしていた遠い昔の庭には、沢山のドクダミを見ることもあったのでしょうけれど、忙しい日常では、そんな余裕も贅沢かも知れませんね。コメント有り難うございました。

七夕

7月7日(金曜日)、寝床で目覚めたままに夜が更けて、淡い夜明けが訪れている。もとより、疲れを癒すはずの寝床にあって、逆に疲労困憊を極めている。挙句、寝不足に陥り、気鬱症状と朦朧頭のコラボレーション(抱き合わせ)状態にある。人生晩年における、つらくて、悲しいわが営みである。こんなこと、私日記なら臆せず気楽に書ける。しかし、ブログでは恥をさらけ出し、呻吟しながら書いている。まさしく、文章を書くわが身の祟りである。文章は楽しく書けば、おのずから明るい文章になる。ゆえに、気乗りのしない文章は書くべきでないと、常に自戒するところはある。それでもパソコンを起ち上げるのは、継続の途絶えを恐れるわが身の浅ましさである。淡い夜明けだったけれど、本格的に太陽が目覚めて、幸いなるかな? 光を強めている。このぶんなら、七夕の夜にあって彦星様と織姫様は、天の川を挟んで一年ぶりの逢瀬が楽しめそうである。翻って人の世は、明けても暮れてもセクハラや不倫報道ばかりが旺盛である。ひとしきり、天上の一途な恋模様に横恋慕をすれば、わが気鬱症状は癒されるかもしれない。近くに七夕飾りがあれば、一つにかぎらずいくつかの短冊に、それでも書き足りないほどの願い事を書きそうである。短冊に代えてここで書けば、願い事は叶わぬままに、人様の嘲笑を買うだけになりそうである。にっちもさっちもいかない、七夕のわが暮らしである。

♪大沢先生へメッセージです(望月窯だより&パソコントラブル&私の畑)♪

『望月窯』は、自然が豊富な別荘で素晴らしいですね♪♪
ドクダミの臭いがどんな感じだったか、すっかり忘れていて、思い出せなくてもがくように苦しんでいるところです(大笑)。

こちらも雷がスゴかった!! ですが、パソコンが起動できて、良かったですね*(^o^)/*\(^o^)/
パソコン不具合中の影響は、ぼくは受けませんでした。

『私の畑』、今夏は”大豊作”でなによりですね♪♪♪♪
勤務している各店舗では、「夏野菜セット」なるものが販売されています。
セット内容は、ナス・ピーマン・ズッキーニの3点ですが、けっこう売れています!!
しかし、買うのはカンタンですが、大沢先生のように育てて、収穫して、食べるのが(自給自足経済)が1番だと思っております(^^)

私の畑

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我が家のベランダの畑では、夏野菜の収穫が始まっています。といっても、そんな大袈裟なものではなく、2、3日に一本ぐらいのものですが、今はきゅうり、トマト、ナスぐらいのものです。今年はキュウリもナスも出来が良く、どうしたのかしらと頭を傾げています。けさもナスを採ろうか、もう少し待とうかと思案中です。ブラックベリーは実を収穫して、冷凍にしてあるので、最終的に全部収穫できれば、ジャムにするつもりです。
 

雨の梅雨空

7月6日(木曜日)、パソコンを起ち上げてしばし、雨戸開けっ放しの前面の窓ガラスを通して、大空模様を眺めている。模様と表現することもない、一点の曇り空から雨が降りしきるだけである。あえて模様と表現するには、単一の空模様ではなく、錯綜する心模様が適当である。なぜなら、心模様には様々なものが浮かんでくる。主に九州地方の豪雨惨禍で、梅雨明けかな? と、思えていた。ところが、自然界はこれだけでは物足らず、さらにはどこかに災害をもたらしたのち、梅雨は明けるのであろうか。あれ、雨をかぶりながら、電線に一羽の小鳥が飛んで来た。羽を振るわせ雨を落とすと、すぐにどこかへ飛んで行った。名を知らぬ小鳥は、慣れているはずなのに梅雨空に、戸惑っているのであろう。突然、見たままのことを書いてしまった。雨の梅雨空を眺めながら私が浮かべていたのは、望郷につのるこの時期のふるさと光景だったのである。実際には子どもの頃のこの時期に、しょっちゅう眺めていた大空が髣髴していたのである。ありえないけれどもし仮に、眺めている大空の下、水田があれば当時のこの時期の、ふるさと光景の丸写しに思えている。戸口元に掛かる蓑笠を着けて、田んぼ回りをする老いた父の面影が浮かんだ。眺めている雨の梅雨空は、鬱陶しさを撥ね退けて、なんだか心が和む光景である。雨にはそよ風が混じり、空き家に残された高木をユラユラ揺らしている。こちらは、やがてわが身に訪れる切ない光景である。雨の梅雨空にあって、心模様は尽きないけれど、尻切れトンボにこれで指止めである。それでも、恥じ入ることもなく、かまわない。なぜなら、ネタなく休むつもりだった、いたずら書きの番外編だからである。パソコンを閉じても、雨の梅雨空を眺め続けるであろう。望郷にかぎりはない。

パソコントラブル

 朝起きてから朝食を済ませるまでの儀式を終えて、仕事部屋でパソコンを立ち上げる。この日常を無意識に繰り返しているので、突然この流れが止まってしまうと、慌てふためくことになる。
 三日の夜、雷がものすごい音を立てて鳴り響いた。私は、急いで起き出して、パソコンの電源をコンセントから抜いた。我が家は雷の通り道なのか、鳴り始めるとものすごい。しかも、やっと鳴り止んだのかと思っていると、またまた引き返して地響きを立てて暴れ回る。随分前に近所の家の電気器具に落ちて、パソコンが壊れたとの話を聞いたことがあるので、雷が鳴り出すと、慌てて電源を抜くことにしている。
 翌日、パソコンの電源を入れると、「起動が出来ない」とメッセージが入った。色々試してみたけれど、いつもの画面は出てこない。パソコンの管理を契約している会社に連絡を取ると、一時頃に来てくれることになった。
その場で確認してもらったところ修理に時間がかかるので起動デッキを持ち帰るとのことだった。翌日(本日)の朝、修理が終了したのでお昼頃までにお持ちすると連絡が入った。パソコンは無事使えるようになった。原因は、電池切れだった。雷を用心してパソコンの電源プラグをコンセントから抜いたため、電池切れの起動デッキが待機電力切れで不具合が起きたのだそうだ。
今回はメール、掲示板、ホームページが使用できず、気付かぬうちにいろいろとご迷惑をかけたかも知れない。お詫びいたします。